竜福寺跡(読み)りゆうふくじあと

日本歴史地名大系 「竜福寺跡」の解説

竜福寺跡
りゆうふくじあと

[現在地名]高岡町内山

大淀川北岸、平賀ひらが城跡の東麓にあった。高岳山と号し、曹洞宗。鹿児島城下福昌ふくしよう寺末で本尊は聖観音大士。慶長五年(一六〇〇)高岡が外城として立てられた際、島津義久(竜伯公)により高岡郷菩提所として創建された。開山八代光孝やつしろこうこう(現国富町)住持天室。義久の諡竜伯の竜と本寺福昌寺の福をとり、寺号を竜福寺とし、同一六年に没した義久の位牌を安置する(高岡名勝志)。同一九年内山うちやま村で高四〇石余を寺領として宛行われた(「町田久幸外三名連署知行目録」旧記雑録)。だが同年の高岡支配所名寄帳抄(同書)ではこの寺領は花見はなみ村打手之門にあったとされる。しかし元和六年(一六二〇)寺社領が削減された際三分の二が上知され、寺領は一四石となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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