改訂新版 世界大百科事典 「章惇」の意味・わかりやすい解説 章惇 (しょうとん)Zhāng Dūn生没年:1035-1105 中国,北宋の宰相。字は子厚。本籍は建州浦城(福建省),嘉祐4年(1059)の進士。博学の能吏として王安石に認められ,新法の中枢三司条例司に入る。1074年(煕寧7)大蔵大臣,80年副宰相に昇進。この間湖南省の少数民族対策に失敗して禍痕を残した。元祐(1086-93)の旧法党時代は地方に左遷されていたが,哲宗親政とともに返り咲き,紹聖年間(1094-97)新法党の領袖として活躍。蔡京らと旧法党を弾圧。徽宗初めに失脚し,江南を転々として失意のうちに没した。《宋史》は〈姦臣伝〉に入れる。執筆者:梅原 郁 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by