日本大百科全書(ニッポニカ) 「新法党」の意味・わかりやすい解説
新法党
しんぽうとう
中国、宋(そう)代に形成された官僚の政治的集団。辺境の防衛に年ごとに増加する軍事費と、土地所有の格差の広がりに深刻化する社会的矛盾に直面した政府の危機に対し、神宗(在位1067~85)朝の初期に宰相に就任し古代の理想政治を範として大胆な改革を実施した王安石をその領袖(りょうしゅう)とする。哲宗(在位1085~1100)朝の初め、一時その政策は批判されたが、矛盾が解決されない以上この党派の主張はそれなりに存在意義をもち、徽宗(きそう)朝の権力者蔡京(さいけい)によって継承され、その影響は北宋の滅亡(1127)後もなお新たな金国に対する主戦・主和の激しい主張の対立と絡んで、政策の一方を保守した。対外的には日本をはじめ諸外国との友好を積極的に進め、対内的には学校、橋梁(きょうりょう)、堤防の建設や新田の開発に意欲を示した。それらの政策は、事実の数量的な分析を立案の中心に据えたことから、一方では独自の科学や芸術の創出にある基盤を与えたが、一方では中国古来の総合的世界観とは逆行するものであった。
[山内正博]