朝日日本歴史人物事典 「竹内雲濤」の解説
竹内雲濤
生年:文化12(1815)
江戸後期の漢詩人。名は鵬,字は九万,号は雲濤,酔死道人。豊前小倉藩(福岡県北九州市)の医師山上準庵の次男で,父の同僚の医師竹内氏の養子となり,江戸に住した。梁川星巌に詩を学び,玉池吟社の同人のひとりとして活躍した。家職の医を厭い,35歳で養子を迎えて家督を譲り,致仕した。その後は房総や北越に遊歴し,詩を業として過ごした。拘束を嫌う奔放な性格で酒を好むこと甚だしく,豪放で変化に富んだ詩を詠んだが,貧窮に苦しんだ。詩集に『雲濤詩集』,詩話に『蕉竹居詩話』『雲濤談海』など。<参考文献>前田愛「竹内雲濤のこと」(『近世文学/作家と作品』)
(揖斐高)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報