竹内雲濤(読み)たけうち・うんとう

朝日日本歴史人物事典 「竹内雲濤」の解説

竹内雲濤

没年:文久2.12.14(1863.2.2)
生年:文化12(1815)
江戸後期の漢詩人。名は鵬,字は九万,号は雲濤,酔死道人。豊前小倉藩(福岡県北九州市)の医師山上準庵の次男で,父の同僚の医師竹内氏の養子となり,江戸に住した。梁川星巌に詩を学び,玉池吟社の同人のひとりとして活躍した。家職の医を厭い,35歳で養子を迎えて家督を譲り,致仕した。その後は房総や北越に遊歴し,詩を業として過ごした。拘束を嫌う奔放な性格で酒を好むこと甚だしく,豪放で変化に富んだ詩を詠んだが,貧窮に苦しんだ。詩集に『雲濤詩集』,詩話に『蕉竹居詩話』『雲濤談海』など。<参考文献>前田愛「竹内雲濤のこと」(『近世文学/作家作品』)

(揖斐高)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹内雲濤」の解説

竹内雲濤 たけうち-うんとう

1815-1863* 江戸時代後期の漢詩人。
文化12年生まれ。豊前(ぶぜん)小倉藩(福岡県)藩医山上準庵の子。江戸で梁川星巌(やながわ-せいがん)にまなび,玉池(ぎょくち)吟社にはいる。家職の医師をきらい,35歳で養子に家督をゆずった。文久2年12月14日死去。48歳。名は鵬。字(あざな)は九万。別号に酔死道人。詩集に「雲濤詩集」,著作に「蕉竹居詩話」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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