日本歴史地名大系 「竹垣君徳政之碑」の解説 竹垣君徳政之碑たけがきくんとくせいのひ 茨城県:筑波郡豊里町上郷村別雷神社竹垣君徳政之碑幕府代官竹垣三右衛門直温の彰徳碑で、別雷神社境内に残る。儒者亀田鵬斎の撰文によって文化一二年(一八一五)に建てられたもの。同社には竹垣代官画像もあり、讃は大田蜀山人。碑文によれば直温は寛政五年(一七九三)に上郷(かみごう)村の代官陣屋に入り、上郷村のほか今鹿嶋(いまがしま)村・牛(うしくびり)村・西谷賀代(にしやがしろ)村、安食(あじき)村(現筑波町)、高須賀(たかすか)村・真瀬(ませ)村・鬼(おに)ヶ窪(くぼ)村(現谷田部町)の八村を管轄し、人口の増加、田畑の開墾、農産物の増収を図り、民政の安定、荒廃農村の復興に寄与した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by