竹本相生太夫(読み)タケモト アイオイダユウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本相生太夫」の解説

竹本 相生太夫(3代目)
タケモト アイオイダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

本名
三輪 一郎

別名
前名=竹本 小若太夫,竹本 越代太夫(3代目),後名=竹本 相生翁

生年月日
明治21年 7月23日

出生地
東京・日本橋

経歴
豊沢雷助から義太節の手ほどきを受け、15歳で竹本小若太夫を名乗る。明治44年祖父の2代目竹本綾瀬太夫(2代目相生太夫)の養子となり、没後来阪、同年3代目竹本越路太夫に入門し、3代目越代太夫を名乗る。大正9年3代目相生太夫を襲名。昭和19年切場詰となる。46年引退し、初代相生翁を名乗る。渋く品格のある芸風だった。

受賞
名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和42年〕,大阪芸術賞〔昭和46年〕

没年月日
昭和51年 7月6日 (1976年)

家族
祖父=竹本 綾瀬太夫(2代目)


竹本 相生太夫(4代目)
タケモト アイオイダユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

本名
西原 二郎

別名
前名=竹本 相子太夫

生年月日
昭和14年 1月22日

出生地
愛媛県 松山市

学歴
堺陵西中卒

経歴
竹本義太夫に始まる義太夫節の家系で、昭和28年3代目相生太夫に入門、相子太夫を名乗り、29年四ツ橋文楽座「東海道中膝栗毛」で初舞台。46年師匠引退で4代目相生太夫を襲名。48年から4代目津太夫の預かり。力感のある語りに定評があった。代表的な舞台に「夏祭浪花鑑」の義平次などがある。

受賞
国立劇場奨励賞〔昭和45年〕,因協会奨励賞〔昭和49年〕

没年月日
平成11年 3月26日 (1999年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹本相生太夫」の解説

竹本 相生太夫(3代目)
タケモト アイオイダユウ

明治〜昭和期の義太夫節太夫(文楽)



生年
明治21(1888)年7月23日

没年
昭和51(1976)年7月6日

出生地
東京・日本橋

本名
三輪 一郎

別名
前名=竹本 小若太夫,竹本 越代太夫(3代目),後名=竹本 相生翁

主な受賞名〔年〕
名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和42年〕,大阪芸術賞〔昭和46年〕

経歴
豊沢雷助から義太節の手ほどきを受け、15歳で竹本小若太夫を名のる。明治44年祖父の2代目竹本綾瀬太夫(2代目相生太夫)の養子となり、没後来阪、同年3代目竹本越路太夫に入門し、3代目越代太夫を名のる。大正9年3代目相生太夫を襲名。昭和19年切場詰となる。46年引退し、初代相生翁を名のる。渋く品格のある芸風だった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本相生太夫」の解説

竹本相生太夫(3代) たけもと-あいおいだゆう

1888-1976 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治21年7月23日生まれ。義太夫節。明治44年祖父の2代竹本綾瀬太夫(2代竹本相生太夫)の養子となり,大阪の3代竹本越路太夫に入門,3代竹本越代太夫を名のり,大正9年3代相生太夫を襲名。昭和46年引退。昭和51年7月6日死去。87歳。東京出身。本名は三輪一郎。初名は竹本小若太夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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