竹村屯倉(読み)たかふのみやけ

日本歴史地名大系 「竹村屯倉」の解説

竹村屯倉
たかふのみやけ

茨木市耳原みのはら桑原くわのはら付近にあったと考えられる古代の屯倉。「日本書紀」安閑天皇元年閏一二月四日条に「三島みしまに行幸す。大伴大連金村従す。天皇、大伴大連を使して、良田を県主飯粒に問はしむ。県主飯粒、慶悦すること限り無し。謹み敬ひて誠を尽す。仍りて上御野かみのみの・下御野上桑原かみのくははら・下桑原、并て竹村の地、凡合すべて肆拾町を奉献す(中略)蓋し三島竹村屯倉には、河内県の部曲を以て田部とすることの元、是に起れり」とみえる。これより先、同年七月一日条には、勅使を大河内直味張のもとへ派遣して田の献上を命じたところ味張は惜しんで不良田だと欺き、献上しなかったとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報