竹田三之助(読み)タケダ サンノスケ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹田三之助」の解説

竹田 三之助
タケダ サンノスケ


職業
人形遣い

肩書
竹田人形座座主

資格
東京都無形文化財〔昭和30年〕

生年月日
明治30年 4月17日

出生地
神奈川県

経歴
13歳の時9世結城孫三郎に入門、孫太郎を名乗る。人形劇の不振時代をのりこえ、昭和30年河竹繁俊、徳川夢声の推薦で江戸芸術の糸操りを継ぎ、初代竹田三之助となる。竹田人形座を創立した。寄席まわりよりも、学校巡演が多く、古典を得意とした。「二十四孝・狐火の段」「八百屋お七」「三番叟」などのレパートリーの他、新作にも意欲をもやした。

受賞
芸術祭賞奨励賞〔昭和32年〕「雪ん子

没年月日
昭和40年 12月20日 (1965年)

家族
養子=竹田 扇之助(竹田人形座座主)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹田三之助」の解説

竹田 三之助
タケダ サンノスケ

大正・昭和期の人形遣い 竹田人形座座主。



生年
明治30(1897)年4月17日

没年
昭和40(1965)年12月20日

出生地
神奈川県

別名
石鍋 元芳

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞奨励賞〔昭和32年〕「雪ん子」

経歴
13歳の時9世結城孫三郎に入門、孫太郎を名乗る。人形劇の不振時代をのりこえ、昭和30年河竹繁俊、徳川夢声の推薦で江戸芸術の糸操りを継ぎ、初代竹田三之助となる。竹田人形座を創立した。寄席まわりよりも、学校巡演が多く、古典を得意とした。「二十四孝・狐火の段」「八百屋お七」「三番叟」などのレパートリーの他、新作にも意欲をもやした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田三之助」の解説

竹田三之助 たけだ-さんのすけ

1897-1965 大正-昭和時代の糸操(あやつ)り人形遣い。
明治30年4月17日生まれ。9代結城(ゆうき)孫三郎に入門して孫太郎を名のる。昭和30年竹田三之助と改名し,竹田人形座を創立した。32年「雪ん子」で芸術祭奨励賞を受賞。昭和40年12月20日死去。68歳。神奈川県出身。本名は石鍋元芳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の竹田三之助の言及

【人形劇】より

…10代目の孫三郎は芥川竜之介の《杜子春》を脚色上演して注目されたことがある。竹田人形座(竹田座)は1660年(万治3)ころに竹田出雲(いずも)が大坂につくり,糸操り,からくり,手遣い人形などで興行したが,8代目でつぶれたのを,竹田三之助が1955年に復興し,《雪ん子》を発表して注目され,海外へも進出した。 人形劇の国際的な連盟組織として,ウニマUNIMA(Union internationale de la marionnetteの略)が結成されたのは1929年チェコのプラハにおいてだった。…

※「竹田三之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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