人形を糸で吊(つ)って操る人形劇。目の字型の手板から糸を垂らして人形の頭(かしら)、手、脚(あし)、着物などに結び、上から操る。糸は19本が標準。職業劇団として東京都に結城(ゆうき)孫三郎一座と、ここから第二次世界大戦後分立した竹田人形座が、神奈川県に人形結城座があり、島根県益田(ますだ)市に郷土芸能の一座がある。これらを江戸系とするが、T字型やキの字型の受け枠で、糸も5本から6本の単純な出雲(いずも)系が山口県周南(しゅうなん)市(旧熊毛(くまげ)町)などに遺存する。わが国の糸操りは、平城宮址(し)出土の人形から奈良時代にさかのぼるかと推定されるが、はっきりするのは江戸初期で、「南京(ナンキン)操り」ともよばれ、中期に栄えていったん衰微し、末期に復興を果たした。富山県下新川(しもにいかわ)郡入善(にゅうぜん)町に文化期(1804~18)の人形が残っており、90センチメートル以上ある。明治後期に9代目結城孫三郎が改良して50センチメートル程度となった。中国では懸糸傀儡(くぐつ)、提線傀儡などとよばれ、ヨーロッパではマリオネットとよばれる。明治中ごろにイギリスのダーク一座が来朝し、評判となった。
[西角井正大]
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…〈糸操り〉ともいい,人形芝居の一形態。壇上の人形遣いが,人形の各所に糸をつけ,その糸を手板と呼ばれる操作板で操るのが基本形。…
…その間,興行不振でしばしば休座もしており,1830年(天保1)に6世孫三郎が再興した記録がある。1900年,東京市村座の舞台で糸操(あやつ)りを始めた結城孫三郎(1871‐1947)は8世の甥と称して9世を名のった。本名田中清太郎,幕末の写絵師両川(りようかわ)亭船遊の子で,明治から大正,昭和にかけて活躍,糸操りの結城座の地位を確立した。…
※「糸操り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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