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糸操り いとあやつり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

糸操り
いとあやつり

人形芝居の一種。糸で人形を操るもの。起源は古く,世界各地にあり,欧米ではマリオネットと称し,日本では南京操りとも呼ばれた。元禄年間 (1688~1704) 以後,手遣い人形が非常な発達をとげたため,糸操りは京坂,江戸,名古屋などで,ごく小規模に行われたにとどまる。明治期に,9世結城孫三郎が技術的に改良を加え,義太夫節以外の演芸とも結び,新生面を開き,現在その系統の結城孫三郎座,および竹田三之助座が公演を行なっている。ほかに中国地方,沖縄にも民俗芸能としての糸繰りが伝わる。

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デジタル大辞泉の解説

いと‐あやつり【糸操り】

操り人形の一。人形に数本の糸をつけ、これを上から動かして操るもの。寛文延宝(1661~1681)ごろから行われた。南京(ナンキン)操り。

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大辞林 第三版の解説

いとあやつり【糸操り】

操り人形の一。人形を糸でつり下げて操るもの。近世初期、浄瑠璃と結びついて盛んに行われた。宝暦(1751~1764)以降衰微したが、明治にはいって九代目結城ゆうき孫三郎が再興。南京ナンキン操り。吊り人形。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

糸操り
いとあやつり

人形を糸で吊(つ)って操る人形劇。目の字型の手板から糸を垂らして人形の頭(かしら)、手、脚(あし)、着物などに結び、上から操る。糸は19本が標準。職業劇団として東京都に結城(ゆうき)孫三郎一座と、ここから第二次世界大戦後分立した竹田人形座が、神奈川県に人形結城座があり、島根県益田(ますだ)市に郷土芸能の一座がある。これらを江戸系とするが、T字型やキの字型の受け枠で、糸も5本から6本の単純な出雲(いずも)系が山口県周南(しゅうなん)市(旧熊毛(くまげ)町)などに遺存する。わが国の糸操りは、平城宮址(し)出土の人形から奈良時代にさかのぼるかと推定されるが、はっきりするのは江戸初期で、「南京(ナンキン)操り」ともよばれ、中期に栄えていったん衰微し、末期に復興を果たした。富山県下新川(しもにいかわ)郡入善(にゅうぜん)町に文化期(1804~18)の人形が残っており、90センチメートル以上ある。明治後期に9代目結城孫三郎が改良して50センチメートル程度となった。中国では懸糸傀儡(くぐつ)、提線傀儡などとよばれ、ヨーロッパではマリオネットとよばれる。明治中ごろにイギリスのダーク一座が来朝し、評判となった。[西角井正大]

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世界大百科事典内の糸操りの言及

【南京操り】より

…〈糸操り〉ともいい,人形芝居の一形態。壇上の人形遣いが,人形の各所に糸をつけ,その糸を手板と呼ばれる操作板で操るのが基本形。…

【結城孫三郎】より

…その間,興行不振でしばしば休座もしており,1830年(天保1)に6世孫三郎が再興した記録がある。1900年,東京市村座の舞台で糸操(あやつ)りを始めた結城孫三郎(1871‐1947)は8世の甥と称して9世を名のった。本名田中清太郎,幕末の写絵師両川(りようかわ)亭船遊の子で,明治から大正,昭和にかけて活躍,糸操りの結城座の地位を確立した。…

※「糸操り」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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