竹田恒徳(読み)タケダ ツネヨシ

20世紀日本人名事典 「竹田恒徳」の解説

竹田 恒徳
タケダ ツネヨシ

昭和期の皇族 元・JOC委員長;元・IOC委員。



生年
明治42(1909)年3月4日

没年
平成4(1992)年5月11日

出生地
東京・高輪

学歴〔年〕
陸士(第42期)〔昭和5年〕卒,陸大〔昭和13年〕卒

経歴
明治天皇の孫にあたり、戦時中は大本営陸軍参謀として南太平洋作戦に参加、ガダルカナル戦線を生き残る。戦後皇籍を離れ、日本馬術連盟会長、日本スケート連盟会長、日本オリンピック委員会(JOC)委員長など、スポーツ界の中枢で活躍。昭和42年国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。59年にはサラエボ五輪の日本選手団団長を務めた。著書に「馬よもやま話」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹田恒徳」の解説

竹田恒徳 たけだ-つねよし

1909-1992 昭和時代後期のスポーツ功労者。
明治42年3月4日生まれ。竹田宮恒久王(つねひさおう)の長男。母は竹田宮妃昌子。明治天皇の孫で戦後皇籍を離脱。日本馬術連盟会長,日本スケート連盟会長,JOC委員長,IOC委員などをつとめた。平成4年5月11日死去。83歳。東京出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「竹田恒徳」の解説

竹田 恒徳 (たけだ つねよし)

生年月日:1909年3月4日
昭和時代;平成時代の皇族
1992年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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