竹輪村(読み)たけのわむら

日本歴史地名大系 「竹輪村」の解説

竹輪村
たけのわむら

[現在地名]鳳来町たけ

南は黄柳つげ村・多利野たりの村、東は上吉田かみよしだ村に接する。北の乗本のりもと村境の標高四七五メートルの高塚たかつか(常寒山)の麓に集落がある。村は東西に分れ、大次田おおしだ組・牛丸うしまる組は西竹ノ輪に属する。村域中央からわずかに登った峠を吉川よしかわ峠といい、吉川村(現新城市)へ下る。東竹ノ輪の日吉ひよし神社の東の谷を登る道を四十四しじゆうしまがり、その峠を竹ノ輪峠といい、乗本村大平おおびらを経て、長篠ながしの方面への近道である。長篠の戦で武田軍はこの道を利用して食糧を運んだと伝える。天正一八年(一五九〇)吉田藩領、慶長五年(一六〇〇)徳川氏領、同六年以降吉田藩領。

日吉神社には、暦仁元年(一二三八)から昭和一五年(一九四〇)に至る棟札一七枚がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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