竹迫城跡(読み)たかばじようあと

日本歴史地名大系 「竹迫城跡」の解説

竹迫城跡
たかばじようあと

[現在地名]合志町上庄 城山

上庄かみのしよう丘陵にあり、城山しろやまの字名が残る。合志城・蛇尾じやのお城・上庄城ともいう。「国誌」によれば、建久年中(一一九〇―九九)竹迫氏の祖中原師員によって築城され、代々竹迫氏の本城であったが、永正―大永(一五〇四―二八)の頃同氏が豊後に移住し、合志氏の居城になったという。建武三年(一三三六)九月一八日の小代重峯軍忠状(小代文書)に「於合志城令遂警固了」とみえ、菊池方の諸城を落した重峯は合志城の警固にあたった。延元二年(一三三七)には菊池武重が同城に押寄せた(正平三年九月日「恵良惟澄軍忠状」阿蘇家文書)。天正一三年(一五八五)島津氏の肥後進攻のとき、「合志之城」は島津氏に奪われ、新納右衛門佐の治めるところとなった(覚兼日記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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