竹野新庄(読み)たかののしんしよう

日本歴史地名大系 「竹野新庄」の解説

竹野新庄
たかののしんしよう

現田主丸町を中心として、久留米市東部および三井みい郡南部にかけて存在した庄園。竹野庄の別納地が庄園化したものとみられ、竹野庄を竹野本庄ともよぶのに対して竹野新庄とよばれた。たんに竹野庄とよばれる場合もある。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に田数一千三〇〇町とあり、筑後国内では最大の庄園である。一方、年月日未詳の某下知状案(生桑寺文書)が引用する建久八年(一一九七)の筑後国図田帳に「竹野新庄内田数八百町八反四丈」とあり、鳥羽院の御願寺十一面堂を本家とし、鎌倉殿(源頼朝)を領家、江大夫判官公朝入道を預所とする庄園で、平家没官領であった。竹野新庄は東郷西郷河北かわきた(現大刀洗町)山本やまもと(現久留米市)の四郷からなり(徳治三年正月一六日「守部道盛譲状」近藤文書/鎌倉遺文三〇など)巨瀬こせ川や筑後川の氾濫原を中心とし、庄域は竹野郡域を越えて山本郡や筑後川対岸の御井みい郡にまで及んだ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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