日本歴史地名大系 「竹長村」の解説 竹長村たけながむら 福井県:小浜市竹長村[現在地名]小浜市竹長加茂(かも)村字大戸(おおど)の北西に位置し、中世には宮川(みやがわ)保に属した。宮川四ヵ村(竹長・本保・新保・大谷)地域の中央部西側山裾に開けた。「若狭郡県志」は「上中郡竹長村狭野(さの)明神社之畔、有御手洗川、名宮川、故合竹長・本保・大谷・新保等四個村而、称宮川保也」と記す。「若狭国守護職次第」応安四年(一三七一)の記事に「去程に宮河に城郭を構立籠る処に、同四月中申の夜、忍入合戦あり、城方には武永入道と云者討れ了、然間、彼在所を焼払ひ濫妨に及、西津へ帰り給了」とあって、武永(竹長)を名乗る武士のいたことから、中世にさかのぼる地名であることがわかる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by