箱館村・箱館町(読み)はこだてむら・はこだてまち

日本歴史地名大系 「箱館村・箱館町」の解説

箱館村・箱館町
はこだてむら・はこだてまち

近世から明治二年(一八六九)までの村(町)亀田かめだ半島の基部から海(津軽海峡)に突き出た函館半島の陸繋部を占め、同半島の南西端の函館山に抱かれる箱館湊を中核として発達した。近世の郷帳類では箱館村として把握されていたが、一八世紀半ば頃には湊を取囲むように町場が形成され、町役所(のち町会所)が置かれて、町年寄・名主・町代が町役人として町政を取扱った。町役人は従前は名主が主座であったが、一九世紀の初頭には町年寄が名主の上座となった(函館市史)。近世の箱館村は東在の村で、元禄郷帳・享保十二年所附に箱館村、天保郷帳には箱舘村とみえる。古くは宇須岸うすけしといった(→箱館湊・函館港。「新羅之記録」などによると、享徳三年(一四五四)夷島に渡った安東政季は、下ノ国の守護の副として河野政通を「箱舘」(宇須岸)に置いたとされる。康正三年(一四五七)五月コシャマインが蜂起、「箱舘」の河野政通らは討たれ、永正九年(一五一二)には河野氏の拠る宇須岸館は陥落した。宇須岸の地名については「地名考并里程記」の箱館の項に、「夷語ウシヨンケシなり。ウシヨロケシの略語にて、則、湾の端と訳す。扨、ウシヨロとは湾又は入江の事。ケシは端と申事ニ而、此所湾の端なるゆへ地名になすと云ふ」とみえる。箱館の地名について「蝦夷島奇観」に「箱館は往古の事実其詳なる事をしる者なし。故に姑く土俗の伝説を取りて是を記しぬ。享禄年間、河野加賀左衛門(中略)なる者ありて、此地に来り、始てウスケシ山址 (塁)を築く。(中略)七居浜より是を望むに、其形箱の如し。故に土人是を名つけて箱館といゝし」と記される。「地名考并里程記」は「九郎判官義経の居城なせし山、箱の形状なる故に和人の号しと云」とし、「箱館夜話草」は箱館奉行役所の「御長家」の項に、「此所はむかし河野加賀守政通の舘の旧跡にして、箱舘といふはこれによるよしいゝ伝ふ。(中略)此舘の名は四角なる縄張にして、箱の如くなれば名づけし処なるべし」とする。なお箱館の地名由来は、北海道の史蹟名勝紀念物調査員を務めていた岡田健蔵が報告した「ハクチャシが転訛してハコタテとなった」とする説(大正一五年七月一六日付「函館市公報」)が妥当と考えられる。

シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」の「松前より下狄地所付」に「一 箱館 澗有 古城有 から家あり 一 弁才天 一 亀田崎」と記される。同書によると亀田には家が二〇〇軒余あり、当地方の中心であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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