築地三丁目(読み)つきじさんちようめ

日本歴史地名大系 「築地三丁目」の解説

築地三丁目
つきじさんちようめ

[現在地名]中央区築地一―四丁目

明治五年(一八七二)起立。築地二丁目の南西にあり、北・南西・南東三方を築地堀に囲まれる。築地一丁目との間にも一部入堀がある。北西万年まんねん橋・二ノ橋、南西に三ノ橋、南東に本願寺ほんがんじ橋が架かる。万治元年(一六五八)木挽こびき町地先の海浜が埋立てられてできた土地(築地)の一画を占める。木挽町築地の名もある。寛文新板江戸絵図によれば、本願寺とその末寺が南東半を占め、北西は旗本木下氏・堀氏の屋敷地などの武家地。本願寺は江戸時代初期には北方大川(隅田川)西岸辺り(現日本橋浜町一丁目)にあったが、明暦の大火によって被災し、埋立てられた築地に移転した。北西の武家地は幕末には摂津高槻藩永井氏中屋敷、丹波福知山藩朽木氏屋敷などに細分されていた。万年橋は采女うねめが原東方との間に架され、橋名は橋杭が石であることにちなむという(武江図説)。その西寄りに架かる二ノ橋は采女橋・矢の橋ともいう。采女橋の名称は伊予今治藩主松平(久松松平)采女正の屋敷があったことにちなむ。二ノ橋の名称は三十間さんじつけん堀方面から木挽橋(一ノ橋)を渡ると、次に渡る橋がこの橋であったことによる。南西に架かる三ノ橋の名も二ノ橋を渡るとこの橋に行当ることから付けられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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