篠畑村(読み)ささばたむら

日本歴史地名大系 「篠畑村」の解説

篠畑村
ささばたむら

[現在地名]西伯町上中谷かみなかたに

大河内おおがわち村の南、法勝寺ほつしようじ川上流の山間部に位置し、法勝寺往来に沿う。篠畠・笹畑・笹畠とも書く。集落南東方、日野郡上代かみだい(現溝口町)境の鎌倉かまくら山山頂に中世の鎌倉山城跡がある。城主は戸田安房守森重であったと伝えるが、不詳。「伯耆志」によると、篠畑村の開拓者長尾新三郎景明の祖父景連は長尾景虎(上杉謙信)従兄弟で、永禄五年(一五六二)謙信に殺され、その子新次郎景孝が会見あいみ郡法勝寺村に来住、長田ながた神社の維持に努め、長子景賢は米子長尾、次子景貞は淀江長尾の祖となったという。元和四年(一六一八)の検地帳写(西伯町役場蔵)によると本村の田畑屋敷合計一町七反五畝余(田一町余・畑六反余・屋敷三畝)はすべて四代弥三郎景英の所有で、ほかに漆木二三本・桑二六本が登録されており、家は五間に二間で、ほかに下人の家が一軒あった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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