日本歴史地名大系 「籠手田城跡」の解説 籠手田城跡こてだじようあと 長崎県:北松浦郡田平町小手田村籠手田城跡[現在地名]田平町山内免里田原(さとたばる)の西部の丘陵に築かれた中世の城館の跡。城山(しろやま)城とよばれ、里(さと)城とは六〇〇メートルほど離れる。籠手田氏の居城とされる。一五世紀中頃、平戸松浦豊久は三男の左衛門栄を田平安照の養子に入れ下松浦八家の一つとし、田平籠手田を与えたとされ、栄は籠手田に築城、籠手田氏を称するようになったという。兄の平戸松浦弘定の領国支配を助け、延徳三年(一四九一)の平戸・田平合戦、明応七年(一四九八)の大智庵(だいちあん)城(現佐世保市)攻略などでは先鋒を勤めた。籠手田安経は松浦隆信に重用され、生月(いきつき)(現生月町)や鷹(たか)島(現鷹島町)などの知行を認められ、キリシタンとしても知られた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報