米湊村(読み)こみなとむら

日本歴史地名大系 「米湊村」の解説

米湊村
こみなとむら

[現在地名]伊予市米湊

古くは小湊とも書かれた。文安元年(一四四四)五月、伊予国守護河野教通から忽那通定が知行地として与えられたことが「一所 山崎小湊松前当知行」(「河野教通安堵判物」忽那家文書)とみえる。また「享禄四年、通直主就可有御上洛、従米湊浦伊与御乗船也」(予陽河野家譜)とあり、中世から船着場として知られていたようである。

近世村としては慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の伊予郡の項に「米湊村 日損所」、高五四二石三斗三升一合と記し、干害を受けやすい土地柄であった。江戸時代当初松山藩領であったが、寛永一二年(一六三五)の替地によって大洲藩領となり、同一四年まで替地代官所が村内西野にしのに置かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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