粟又村(読み)あわまたむら

日本歴史地名大系 「粟又村」の解説

粟又村
あわまたむら

[現在地名]大多喜町粟又・会所かいしよ

小沢又おざわまた村の南、養老ようろう川上流域に位置し、集落の大半は左岸にある。元禄郷帳などでは筒森つつもり村枝郷とある。文禄三年(一五九四)九月二九日の伊保庄筒森村田畑縄打帳(永島家文書)に粟又とみえ、田三町二反余・畑三町九反余、名請人九。延宝七年(一六七九)検地帳(粟又区有文書)では筒森郷之内粟又村とみえ、田三町二反余・畑七町三反余(うち茶畑七畝余)、新田七町九反余(うち茶畑三反余)。元禄郷帳では高六一石余。領主変遷笛倉ふえぐら村に同じと思われる。文政一〇年(一八二七)の岩槻藩領村々書上帳では新田高二〇石余(反別五町八反余)年貢は米九石余・永七貫二八五文余・山役薪九二六束・酒役永一四八文、家数四二・人数一八四、うち出家一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android