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粟生屋源右衛門 あおや げんえもん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

粟生屋源右衛門 あおや-げんえもん

1789-1858 江戸時代後期の陶工。
寛政元年生まれ。再興九谷焼の名工。加賀(石川県)能美郡(のみぐん)若杉村の若杉窯の本多貞吉(ていきち)にまなび,文政5年小松で製陶をはじめる。楽焼を得意とし,木工品のような硯(すずり)箱,机,箪笥(たんす)などの作品がある。安政5年死去。70歳。生年に寛政3年,4年,没年に文久3年の説がある。加賀出身。号は東郊。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

粟生屋源右衛門

没年:文久3(1863)
生年:寛政1(1789)
江戸後期の九谷焼の陶工。加賀国(石川県)小松生まれ。父源兵衛は東郊と号し,京焼を学び,寛政10(1798)年より小松で楽焼を始め,茶器などを制作した。源右衛門は若杉窯の本多貞吉のもとで学び,父の死後,文政5(1822)年小松の材木町で開窯した。若杉窯では主工を務め,文政7年には本多貞吉の養子清兵衛らと共に吉田屋窯を開窯し,ここでも主工を務めた。さらに,蓮代寺窯,小野窯,松山窯などでも指導に当たり,再興九谷諸窯の発展に尽くした。楽焼系の軟陶を得意とし,白土を化粧がけし,上絵で彩色した箪笥,硯箱,卓など,木工品のような作品に特色がある。号は父と同じ東郊。

(伊藤嘉章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の粟生屋源右衛門の言及

【九谷焼】より

…この様式は九谷諸窯で行われ,その伝統は今日まで続いている。吉田屋窯は1831年(天保2)に廃窯となるが,九谷諸窯では飯田屋八郎右衛門,粟生屋源右衛門,九谷庄三(しようざ)(1816‐83)などの名工が輩出し,幕末から明治への政治変革期の混乱にも影響をうけず,さらに活況を呈した。華やかな金襴手や青九谷が輸出用として焼かれ,明治20年代には日本の輸出磁器としては有田をこえて第1位となり,その名を世界に広めている。…

※「粟生屋源右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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