糟礼村(読み)かすれいむら

日本歴史地名大系 「糟礼村」の解説

糟礼村
かすれいむら

[現在地名]結城市粕礼かすれい

今宿いまじゆく村の南に位置。集落今宿の方から南に延びる舌状台地上に発達し、中央を南北に道が走る。村域内には縄文弥生土師の土器片が採集された戸崎とさき遺跡があり、字戸崎から字上宿かみじゆく・大字今宿との境にかけて粕礼古墳群がある。粕礼鷲山かすれいわしやま古墳は前方後円で、全長二四メートル、戸崎A号墳は円墳横穴式石室がある。

永禄八年(一五六五)または九年のものとみられる山川氏重等連署寄進状写(結城寺文書)に「上山川之内山王内寺野田間 かす(れ)うへなし合而五十貫文」、天正一八年(一五九〇)九月の山川晴重宛の豊臣秀吉宛行状(山川修二文書)に「七十六貫九百文 かすれい さの」とあり、慶長六年(一六〇一)まで山川氏領であったが、同年山川朝貞の所替により天領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つで,二至 (夏至,冬至) ,二分 (春分,秋分) として四季の中央におかれた中気。元来,春分は太陰太陽暦の2月中 (2月後半) のことで,太陽の黄経が0°に達した日 (太陽暦の3月 2...

春分の用語解説を読む