日本歴史地名大系 「糸永村」の解説 糸永村いとながむら 大分県:東国東郡安岐町糸永村[現在地名]安岐町糸永東西を山稜に挟まれた峡谷の村で、南流する両子(ふたご)川の両岸の山麓に沿って集落と水田が細長く展開する。東は油留木(ゆるぎ)村、南は杉山(すぎやま)村。小倉藩元和人畜改帳に村名がみえ、高三二九石余、家数三一、うち百姓一六、庭屋・へ屋・牛屋一四、人数九六、うち百姓一六・名子一、牛九。正保郷帳では安岐郷に属し、田方一八七石余・畑方三三石余で、柴山有・竹山有・半分日損所・新田有と注記される。天和二年(一六八二)杵築藩主松平英親の弟重長の分知領となり、糸永村を含む八ヵ村は両子組に属した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by