安岐郷(読み)あきごう

日本歴史地名大系 「安岐郷」の解説

安岐郷
あきごう

現安岐町のうち武蔵むさし(現武蔵町)であった両子ふたごを除いた地域と、現杵築きつき横城よこぎ奈多なだ狩宿かりしゆく守江もりえ大内おおうち地区にあたる。古代の阿岐あき郷の系譜をひく。宇佐宮大宮司家が領家職を帯する宇佐宮領庄園。以東以西・以東新庄・以西新庄に区分される神領のうち以東に属する。「宇佐大鏡」では田数三五〇町。豊後国弘安図田帳では三〇〇町、豊後国弘安田代注進状では二〇〇町とみえる。両文書によれば内容はあまり名三六町、弁府べんぶ一〇町(注進状は弁分八〇町)弘永ひろなが名三〇町、成久なりひさ名三七町、朝来野あさくの浦一四町、守江浦三町とある。弁府・弘永名の日田永基、守江浦の戸次時頼の地頭職は文永の役の恩賞。成久名は北条宗頼の母辻殿、朝来野浦は開発領主の朝来野公平・公継兄弟が地頭。ところが年月日未詳の宇佐宮神領次第案(到津文書)には「仁治二年散田帳云」として「安岐郷四十六名」とその数に大差がある。史料からは諸田もろた名・松武まつたけ名・秋丸あきまる名など五〇以上の名や村が抽出できるが、仁治二年(一二四一)時点での名との関係は明確でない。なかでも諸田名内亀丸かめまる名などの二次的名の存在が注目される。

文治年間(一一八五―九〇)に宇佐宮太大工小山田貞遠が作成利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)によると、安岐郷は若宮鳥居内置路甃二丈ほか二件が豊後一国平均役分として割当てられているほか、造営関係では安岐・武蔵両郷役として「御服所」の割当てがみえる(年月日未詳「造宇佐宮課役注文案」到津文書)。ほかに御炊殿に奉仕する加用・雑仕女が割当てられ、文応元年(一二六〇)・元応二年(一三二〇)・貞和四年(一三四八)・応永二九年(一四二二)の差出しが確認される。元暦二年(一一八五)三月禰宜所帯分の御供田・得分免田・散在田畠等を不輸神領として再認する旨の外題安堵がなされている(「大神安子等連署解状案」益永文書)。そのなかに禰宜免田八町が安岐郷・武蔵郷内にあるとみえる。これは宇佐宮神領次第案でも確認できる。また、天文一六年(一五四七)一一月吉日の宇佐御神領安岐郷定使給分坪付(到津文書)により、古くから定使給が存在していたことを想定させられる。以上のほか大宮司家をはじめ、宇佐宮政所惣検校益永家などの所領も確認される。

祭礼関係では宇佐宮から奈多宮(現杵築市)に古装束等を送る神事がみえ(寛喜元年一〇月一九日「宇佐宮古御装束等送状案」小山田文書)、宇佐宮の特殊神事の一つである放生会の和間御迎講式での獅子や相撲役にも参加している。


安岐郷
あきごう

和名抄所載の郷で、訓を欠く。東急本は安達郡とする。「日本地理志料」は現伊達郡川俣かわまた町にある近世元秋山もとあきやま村・上秋山村を遺称地とし、現同郡の川俣町飯野いいの町・月舘つきだて町・霊山りようぜん町の町境付近をあげる。「大日本地名辞書」も「川俣飯野の辺の旧名にや、中世以来、専小手保と云へる地なり、此に秋山の名あるにも参考すべし」とする。


安岐郷
あきごう

「和名抄」所載の郷。遺存地名として阿木あぎ(現中津川市)があり、比定地についても同地を中心とした付近一帯とみるのが妥当であろう。「日本地理志料」がひく「美濃志」も現中津川市阿木、現岩村いわむら町と現山岡やまおか町の一部をあてている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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