日本歴史地名大系 「安岐郷」の解説
安岐郷
あきごう
現安岐町のうち
文治年間(一一八五―九〇)に宇佐宮太大工小山田貞遠が作成利用した宇佐宮仮殿地判指図(宇佐神宮蔵)によると、安岐郷は若宮鳥居内置路甃二丈ほか二件が豊後一国平均役分として割当てられているほか、造営関係では安岐・武蔵両郷役として「御服所」の割当てがみえる(年月日未詳「造宇佐宮課役注文案」到津文書)。ほかに御炊殿に奉仕する加用・雑仕女が割当てられ、文応元年(一二六〇)・元応二年(一三二〇)・貞和四年(一三四八)・応永二九年(一四二二)の差出しが確認される。元暦二年(一一八五)三月禰宜所帯分の御供田・得分免田・散在田畠等を不輸神領として再認する旨の外題安堵がなされている(「大神安子等連署解状案」益永文書)。そのなかに禰宜免田八町が安岐郷・武蔵郷内にあるとみえる。これは宇佐宮神領次第案でも確認できる。また、天文一六年(一五四七)一一月吉日の宇佐御神領安岐郷定使給分坪付(到津文書)により、古くから定使給が存在していたことを想定させられる。以上のほか大宮司家をはじめ、宇佐宮政所惣検校益永家などの所領も確認される。
祭礼関係では宇佐宮から奈多宮(現杵築市)に古装束等を送る神事がみえ(寛喜元年一〇月一九日「宇佐宮古御装束等送状案」小山田文書)、宇佐宮の特殊神事の一つである放生会の和間御迎講式での獅子や相撲役にも参加している。
安岐郷
あきごう
安岐郷
あきごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報