糺河原(読み)ただすがわら

日本歴史地名大系 「糺河原」の解説

糺河原
ただすがわら

[現在地名]左京区下鴨〈泉川町・宮河町・宮崎町〉

賀茂川高野たかの川の合流する河合の一帯をいう。河合かわい川原ともよばれ、只洲ただすよりその名が生じた。京・若狭を結ぶ大原・朽木越くつきごえ(若狭街道)起点に近く、交通の要衝として、また人々の交流する広場として知られる。

「延喜式」巻三(臨時祭)にみえる「凡鴨御祖社南辺者、雖四至之外、濫僧屠者等、不居住」などが糺河原の古い姿をしのばせる史料であるが、中世の前半には、主として軍事・交通の観点から、室町期には芸能興行の場として、数多くの記録・文献に登場する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の糺河原の言及

【賀茂川∥鴨川】より

…また,川筋一帯の西賀茂村,上賀茂村,小山村などのうちで高295石1斗8升7合は,賀茂川御修復料として,小堀仁右衛門,〈賀茂川筋両組川方〉の支配をうけていたが,1710年(宝永7)鴨川疎通との関係か角倉家の支配となっている(京都御役所向大概覚書,山城国高八郡村名帳)。 鴨川には北の糺(ただす)河原をはじめ,荒神,二条,三条など多くの河原が開け,前代より広場として人々を集め,刑場としても利用されていたが,また芝居興行の地としても知られた。かぶき踊で著名な江戸時代初期の出雲のお国の興行場所は,最初五条河原で,のち北野社などへ移り,最後は四条河原に舞台を建てたとの伝えもある(《東海道名所記》)。…

【糺森】より

…また鴨長明はこの社の禰宜(ねぎ)に補せられることを願って果たさず,世をはかなんで遁世した。中世には森のはずれの糺河原で,勧進猿楽その他の芸能が盛んに興行された。【奥村 恒哉】。…

※「糺河原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」