紀州道成寺(読み)きしゅうどうじょうじ

改訂新版 世界大百科事典 「紀州道成寺」の意味・わかりやすい解説

紀州道成寺 (きしゅうどうじょうじ)

長唄の曲。1861年(文久1)5世杵屋(きねや)三郎助(のちの3世勘五郎)の作曲で,詞章謡曲道成寺》をわずかに変更しただけのもの。道成寺物の長唄としてはきわめて新しく,幕末の謡曲物流行の風潮を受けて格調高く堂々たる曲になっている。道成寺鐘供養に来た白拍子(しらびようし)と鐘の異変住職の物語,鬼女の調伏の3段から成る。はじめ素の長唄であったが1925年3世中村時蔵によって舞踊として上演されて以来,ときおり舞踊化されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紀州道成寺」の意味・わかりやすい解説

紀州道成寺
きしゅうどうじょうじ

長唄の曲名。万延1 (1860) 年南部侯の白金末広御殿で初演。南部佐竹利信侯作詞といわれる。5世杵屋三郎助 (のちの3世杵屋勘五郎 ) 作曲。いわゆる道成寺物のなかで,詞章を含め最も能の『道成寺』に近い。全曲本調子。道成寺の由来から白拍子の出の合方,道行,乱拍子など作曲もすぐれ,仙台浄瑠璃を取入れたワキ僧の物語をクドキにし,唄の聞かせどころとなっている。早笛の合方で蛇体の清姫を思わせ,一の糸と三の糸を使う方法も効果的。この合方は3段に分れているが,3段目のみを演奏することもある。巧みな構成で長唄の変化するおもしろさを十分に聞かせる名曲

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世界大百科事典(旧版)内の紀州道成寺の言及

【道成寺物】より

…これらを集大成し,道成寺物の決定版となったのが,53年(宝暦3)3月中村座で初世中村富十郎が演じた《京鹿子娘道成寺》(《娘道成寺》)で,以後,他の系統と合したものや,《奴道成寺》ほかの変型物を生んだ。幕末の《紀州道成寺》は素(す)の長唄として作曲されたものであるが,能に近い振りがつけられている。(2)人形浄瑠璃,歌舞伎狂言の一系統 安珍・清姫伝説の劇化では,1742年(寛保2)8月大坂豊竹座初演の《道成寺現在蛇鱗(げんざいうろこ)》が完成されたものだが,これを粉本とした59年(宝暦9)2月大坂竹本座初演の《日高川入相花王(いりあいざくら)》(通称《日高川》)が有名となり,歌舞伎に移入され,日高川の場は文楽,歌舞伎ともに現在まで上演されている。…

【長唄】より

… 天保期(1830‐44)から幕末にかけても長唄は全盛期であった。歌舞伎や長唄を愛好する大名,旗本,豪商,文人らがその邸宅や料亭に長唄演奏家を招いて鑑賞することが流行し,なかには作詞を試みる者も現れ,作曲者たちの作曲意欲と相まって,《翁千歳三番叟(おきなせんざいさんばそう)》《秋色種(あきのいろくさ)》《鶴亀》《紀州道成寺》《四季の山姥(しきのやまんば)》《土蜘(つちぐも)》など鑑賞用長唄の傑作が生まれた。一方,前代に全盛をきわめた変化物舞踊もようやく行詰りをみせはじめ,さらに幕藩体制の崩壊,長唄愛好者の大名,旗本の高尚趣味の影響もあって,長唄にも復古的な傾向が現れ,謡曲を直接にとり入れた曲が作曲されるようになり,前述の《鶴亀》や《勧進帳》《竹生島》などが生まれた。…

※「紀州道成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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