杵屋勘五郎(読み)キネヤカンゴロウ

デジタル大辞泉 「杵屋勘五郎」の意味・読み・例文・類語

きねや‐かんごろう〔‐カンゴラウ〕【杵屋勘五郎】

長唄三味線方。
(3世)[1815ころ~1877]前名、11世六左衛門。通称、根岸の勘五郎。作曲にすぐれ、音曲の故実にも通じていた。「四季の山姥やまんば」「橋弁慶」などを作曲。
(5世)[1875~1917]12世六左衛門の次男。三味線の名手。「新曲浦島」「島の千歳」「多摩川」などを作曲。

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精選版 日本国語大辞典 「杵屋勘五郎」の意味・読み・例文・類語

きねや‐かんごろう【杵屋勘五郎】

  1. 邦楽家。長唄三味線方。
  2. [ 一 ] 三世。前名、六左衛門(一一世)。江戸下谷根岸に住み、根岸の勘五郎と称される。「四季の山姥(やまんば)」「竹生島(ちくぶじま)」など多くの名曲を残し、長唄の研究家としても知られた。文政一二~明治一〇年(一八二九‐七七
  3. [ 二 ] 五世。一二世六左衛門の子。本名石原広吉。「新曲浦島」「多摩川」などを作曲。明治八~大正六年(一八七五‐一九一七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「杵屋勘五郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋勘五郎
きねやかんごろう

長唄(ながうた)三味線方。杵屋六左衛門杵屋喜三郎とともに杵屋宗家の名義。

初世

没年不詳。杵屋宗家の始祖。江戸歌舞伎(かぶき)の始祖とされる猿若勘三郎(さるわかかんざぶろう)(1598―1658。初代中村勘三郎)の実弟。猿若狂言の脇師(わきし)を務めたといわれる。

2世

(1619―1699)宗家の3代目にあたり、2代宗家六左衛門の実子。前名喜三郎狂言師から三味線方に転向、『焙烙聟(ほうろくむこ)』『紅葉狩(もみじがり)』『七段獅子(じし)』などを作曲したといわれる。江戸長唄三味線の始祖とされる。

3世

(1815ころ―1877)11代宗家六左衛門の後名。1868年(明治1)勘五郎を襲名。「根岸の勘五郎」とよばれる。『紀州道成寺』『四季の山姥(やまんば)』『橋弁慶(はしべんけい)』『綱館(つなやかた)』などを作曲。音曲の故事にも通じ、『大薩摩(おおざつま)・杵屋系譜』『御屋舗(おやしき)番組控』など貴重な記録を残し、明治10年8月5日(一説に7日)に没した。

4世

(1839―1917)稀音家浄観(きねやじょうかん)の前名(同項目参照)。

5世

(1875―1917)12代宗家六左衛門の次男。前名喜三郎。1902年(明治35)5世を襲名。兄の13代六左衛門とともに歌舞伎長唄育成のために活躍、『新曲浦島』『島の千歳(せんざい)』などを作曲。

6世

(1925― )14代六左衛門の次男。本名杵家安八郎。父および山田抄太郎(しょうたろう)に師事し、1942年(昭和17)6世を襲名した。1956年(昭和31)、兄の15代喜三郎(1923―2023)とともに杵屋会を結成。1997年(平成9)2代目宗家寒玉(かんぎょく)を襲名。

7世

(1955― )6世の長男。本名杵屋弘和。前名広吉。1997年7世を襲名。

[渡辺尚子]

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改訂新版 世界大百科事典 「杵屋勘五郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋勘五郎 (きねやかんごろう)

長唄三味線方。現在まで6世を数えるが,3世と5世が著名。(1)初世(1574?-1643?/天正2?-寛永20?) 中村勘兵衛の実子で,江戸歌舞伎の開祖猿若(中村)勘三郎の弟といわれる。道広と号する。元和年間(1615-24)に勘三郎とともに江戸に下り,猿若狂言の脇師をつとめていたが,小歌が巧みであったという。杵屋の始祖といわれているが,長唄とは直接の関係はない。(2)2世(1619?-99?/元和5?-元禄12?) 2代杵屋六左衛門の実子といわれる。杵屋宗家としては3代目。前名喜三郎。はじめは狂言師,のち三味線方に転向する。《七段獅子》をはじめ,《ほうろく聟(むこ)》《花盗人》などを作曲したという。〈江戸男哥舞妓今様長哥三絃始祖〉といわれている。(3)3世 11代杵屋六左衛門の後名。(4)4世 初世稀音家(きねや)浄観の前名。(5)5世(1875-1917・明治8-大正6) 12代杵屋六左衛門の次男。初名2世栄蔵。1902年喜三郎から勘五郎を襲名する。兄の13代六左衛門とともに歌舞伎長唄発展のために尽力するとともに積極的に関西にも進出し,植木店派(うえきだなは)(六左衛門家)の全盛期を確立する。作曲も巧みで《島の千歳(しまのせんざい)》《多摩川》などを作曲。《里廼四季(さとのしき)》《新曲浦島》は兄六左衛門との合作といわれている。(6)6世(1925(大正14)- )14代杵屋六左衛門の次男。1942年勘五郎を襲名する。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「杵屋勘五郎」の解説

杵屋 勘五郎(5代目)
キネヤ カンゴロウ


職業
長唄三味線方

本名
石原 広吉

別名
初名=杵屋 栄蔵(2代目)(キネヤ エイゾウ),前名=杵屋 喜三郎(13代目)(キネヤ キサブロウ)

生年月日
明治8年 4月14日

出生地
東京

経歴
明治27年13代目喜三郎を襲名、35年5代目勘五郎を襲名。兄の六左衛門とともに歌舞伎長唄の育成に尽くし、帝国劇場の長唄音楽部長を務めた。三味線の名手で作曲にも長じ、代表作に「島の千歳」「多摩川」「新曲浦島」などがある。

没年月日
大正6年 3月24日 (1917年)

家族
父=杵屋 六左衛門(12代目)(杵屋宗家12代),兄=杵屋 六左衛門(13代目)(杵屋宗家13代),養子=杵屋 俊二

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20世紀日本人名事典 「杵屋勘五郎」の解説

杵屋 勘五郎(5代目)
キネヤ カンゴロウ

明治・大正期の長唄三味線方



生年
明治8年4月14日(1875年)

没年
大正6(1917)年3月24日

出生地
東京

本名
石原 広吉

別名
初名=杵屋 栄蔵(2代目)(キネヤ エイゾウ),前名=杵屋 喜三郎(13代目)(キネヤ キサブロウ)

経歴
明治27年13代目喜三郎を襲名、35年5代目勘五郎を襲名。兄の六左衛門とともに歌舞伎長唄の育成に尽くし、帝国劇場の長唄音楽部長を務めた。三味線の名手で作曲にも長じ、代表作に「島の千歳」「多摩川」「新曲浦島」などがある。

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朝日日本歴史人物事典 「杵屋勘五郎」の解説

杵屋勘五郎(5代)

没年:大正6.3.24(1917)
生年:明治8(1875)
明治大正期の長唄三味線方。12代目杵屋六左衛門の次男。本名広吉。父六左衛門は,はじめ広吉を堅気の商人にしようとしたが,その技量がすばらしく,長唄界にとどめたという。初名2代目栄蔵。13代目喜三郎を経て明治35(1902)年,5代目勘五郎を襲名する。兄の13代目六左衛門と共に歌舞伎長唄の育成に努めるとともに,積極的に関西に進出して江戸長唄を広め,植木店派(杵屋六左衛門家)の隆盛を図った。不幸にも病魔に冒され42歳で没したが,特にその作曲技量は兄をしのぐものがあり,「里廼四季」「新曲浦島」(ともに兄弟の合作),「島の千歳」「多摩川」などを残している。勘五郎の名跡は,平成期まで6代を数える。<参考文献>町田博三『長唄稽古手引草』

(植田隆之助)


杵屋勘五郎(初代)

没年:寛永20.9.11(1643.10.23)
生年:生年不詳
江戸前期の長唄三味線・唄方の宗家である杵屋の始祖。江戸歌舞伎の中村座を開いた猿若(初代中村)勘三郎の弟で,杵屋の紋(三本杵)を作った人物と伝えられる。17世紀前半に上方から江戸へ下り,兄勘三郎の脇師を勤め,猿若踊りの振り付けをするなど猿若狂言で活躍した。<参考文献>3代目杵屋勘五郎(11代目杵屋六左衛門)「大薩摩・杵屋系譜」(『音曲叢書』1編,1973復刻)

(長葉子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「杵屋勘五郎」の意味・わかりやすい解説

杵屋勘五郎(3世)
きねやかんごろう[さんせい]

[生]文化12(1815)/文政6(1823)
[没]1877
長唄三味線方の家元。別家 10代杵屋六左衛門の妻の兄の子。文久1 (1861) 年,5世三郎助から 11代六左衛門となり,慶応4 (68) 年,義弟喜三郎に六左衛門名義を譲り,勘五郎を名のり,根岸に移り住んだ。世に「根岸の勘五郎」と呼ばれる。『紀州道成寺』『四季の山姥』『橋弁慶』『綱館』『望月』『土蜘蛛』などの名曲を世に残すとともに,音曲の研究家として『大薩摩四十八手』『大薩摩杵屋系図』『御座敷番組控』『芝居囃子日記』などの記録を残し,後世の長唄研究のために多大の功績を残した。別号稀音家照海,大薩摩絃太夫。

杵屋勘五郎(5世)
きねやかんごろう[ごせい]

[生]1875
[没]1917
長唄三味線方の家元。 12代杵屋六左衛門の次男,本名広吉。 1902年,喜三郎より5世勘五郎を襲名。同年,歌舞伎座囃子頭となる。三味線の名手であるとともに,作曲にも非凡の才を発揮し,兄 13代六左衛門と協力して植木店派 (六左衛門家) の全盛期を築き上げた。代表作『春秋』『島の千歳 (せんざい) 』『新曲浦島』 (13代六左衛門と合作) ,『多摩川』など。

杵屋勘五郎(1世)
きねやかんごろう[いっせい]

[生]天正2(1574)?
[没]寛永20(1643)?
長唄三味線方の家元。猿若勘三郎 (中村座の祖) の弟で,元和年間 (1615~24) ,兄とともに江戸に下り狂言のワキをつとめ,小歌が上手で,歌いながら舞ったと「杵屋系図」に記されているが,疑問の点が多い。

杵屋勘五郎(4世)
きねやかんごろう[よんせい]

[生]天保10(1839)
[没]1917
長唄三味線方の家元。1世杵屋六四郎の門弟で四郎治。 1902年,6世三郎助から勘五郎を継いだが,同時に 12代六左衛門の次男喜三郎が勘五郎を襲名したため,08年,稀音家浄観と改めて隠退した。上調子の名手であった。

杵屋勘五郎(6世)
きねやかんごろう[ろくせい]

[生]1925.10.19.
長唄三味線方の家元。 14代杵屋六左衛門の次男,本名安八郎。父および山田抄太郎に師事。 1942年6世を襲名した。『二人静』『為朝』などを作曲。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杵屋勘五郎」の解説

杵屋勘五郎(2代) きねや-かんごろう

1619?-1699? 江戸時代前期の長唄三味線方。
元和(げんな)5年?生まれ。杵屋宗家2代杵屋六左衛門の子。宗家3代。はじめ猿若狂言師。のち小歌に三味線をくわえ,「七段獅子」を作曲したといわれ,長唄三味線方の始祖とされている。元禄(げんろく)12年10月21日?死去。81歳? 初名は杵屋喜三郎。作品に「炮碌聟(ほうろくむこ)」「花盗人」など。

杵屋勘五郎(5代) きねや-かんごろう

1875-1917 明治-大正時代の長唄三味線方。
明治8年4月14日生まれ。杵屋宗家12代六左衛門の次男。喜三郎をへて明治35年5代勘五郎を襲名。演奏と作曲双方にすぐれ,兄の13代六左衛門とともに歌舞伎長唄の育成につくした。大正6年3月24日死去。43歳。東京出身。本名は石原広吉。作品に「新曲浦島」(兄と合作),「島の千歳(せんざい)」など。

杵屋勘五郎(初代) きねや-かんごろう

?-1643? 江戸時代前期の歌舞伎狂言役者。
江戸長唄の杵屋宗家(そうけ)の始祖とされる。「杵屋系図」によると,元和(げんな)のころ兄の猿若勘三郎(初代中村勘三郎)とともに上方から江戸に出,杵屋の姓と三本杵の家紋をつくり,兄の脇(わき)師をつとめて猿若狂言に活躍したという。寛永20年9月11日?死去。

杵屋勘五郎(6代) きねや-かんごろう

1925- 昭和-平成時代の長唄三味線方。
大正14年10月19日生まれ。杵屋宗家14代杵屋六左衛門の次男。父と山田抄太郎に師事。昭和17年6代杵屋勘五郎を襲名。56年兄の15代杵屋喜三郎とともに杵屋会を結成。平成9年2代杵屋寒玉を襲名。東京出身。東京音楽学校(現東京芸大)卒。本名は杵家安八郎。

杵屋勘五郎(3代) きねや-かんごろう

杵屋六左衛門(きねや-ろくざえもん)(11代)

杵屋勘五郎(4代) きねや-かんごろう

稀音家浄観(きねや-じょうかん)(初代)

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367日誕生日大事典 「杵屋勘五郎」の解説

杵屋 勘五郎(5代目) (きねや かんごろう)

生年月日:1875年4月14日
明治時代;大正時代の長唄三味線方
1917年没

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世界大百科事典(旧版)内の杵屋勘五郎の言及

【長唄】より

…しかし,次の若衆歌舞伎(1652年禁止)では四拍子に代わって三味線が主要楽器の地位を占め,俳優と演奏者の別も確立した。3世杵屋(きねや)勘五郎編《杵屋系譜》では,元和年間(1615‐24)に江戸に下った初世杵屋勘五郎杵屋の始祖とし,3代目杵屋勘五郎(杵屋の3代目であり,杵屋勘五郎名義では2世)を〈長哥三絃始祖〉としているが確証はない。次の野郎歌舞伎は元禄期(1688‐1704)を迎えて急速な進歩をとげ,顔見世的な総踊り以外に〈続き狂言〉の幕間にも舞踊が盛んに上演されるようになり,上方に岸野次郎三,山本喜市などの作曲者や三味線演奏者,江戸にも杵屋喜三郎,杵屋六三郎などが現れた。…

【橋弁慶】より

…五条橋における牛若と弁慶の出会いは,江戸期を通じて義太夫節,富本節,一中節,河東節,長唄などに節付けされ,舞踊化もされてきた。現在行われているものは,1868年(明治1),3世杵屋(きねや)勘五郎が能の《橋弁慶》の詞章に長唄の節付けをしたもので,1912年4月東京歌舞伎座初演。演者は2世市川段四郎,12世片岡仁左衛門。…

【望月】より

…長唄を地にしたものが2曲ある。通称《大望月》は1870年(明治3),3世杵屋(きねや)勘五郎が能の《望月》の詞章に曲をつけた。15世市村羽左衛門や7世松本幸四郎が能がかりの演出で踊っている。…

【杵屋】より

…稀音家,杵家とも書かれる。〈杵屋〉が最も古く,《杵屋系譜》によると始祖は初世杵屋勘五郎,元和年間(1615‐24)に兄とされる猿若勘三郎(中村勘三郎。中村座の祖)とともに京都から江戸に下った。…

【杵屋六左衛門】より

…長唄の宗家といわれる。現在まで15代を数えるが,これは六左衛門のみの代数ではなく,杵屋の始祖といわれる初代勘五郎以後の杵屋勘五郎や杵屋喜三郎の名義をも含めた家督相続者の代数である。六左衛門名義としては,2代,4代,および9代以後15代までの9名を数えるが,2代,4代については疑わしい点も多く,また宗家としての6代喜三郎までについても,不明な点が多々ある。…

※「杵屋勘五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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