朝日日本歴史人物事典 「紀広純」の解説
紀広純
生年:生年不詳
奈良時代の貴族。紀麻呂の子である宇美の子。天平宝字2(758)年1月,正六位上,北陸道問民苦使(「もみくし」とも)となり,7年1月従五位下に昇り大宰府(太宰府市)の役人となる。以後,薩摩守,筑後守,美濃介,河内守など地方官を歴任,『続日本紀』によれば職務に忠実な能吏だったという。宝亀5(774)年7月鎮守副将軍となってから,東北地方の蝦夷征討を担当し,陸奥国按察使(行政監督官),鎮守将軍などを経て,11年2月参議に昇進。ところが翌2月,伊治城(宮城県築館町)に滞在中,部下の伊治郡大領伊治呰麻呂の反乱により殺された。蝦夷出身で広純の信任厚かった呰麻呂は,内心怨みを抱いていたという。
(寺崎保広)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報