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紀広純 きの ひろずみ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀広純 きの-ひろずみ

?-780 奈良時代の公卿(くぎょう),武人。
紀宇美(うみ)の子。宝亀(ほうき)8年陸奥守(むつのかみ)で按察使(あぜち)をかね,鎮守副将軍として出羽(でわ)の蝦夷(えみし)を平定する。9年従四位下,11年参議。同年3月22日覚鱉柵(かくべつさく)造営のため伊治城にはいったとき,信任していた蝦夷出身の伊治呰麻呂(あざまろ)の反乱にあって殺された。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

紀広純

没年:宝亀11.3.22(780.5.1)
生年:生年不詳
奈良時代の貴族。紀麻呂の子である宇美の子。天平宝字2(758)年1月,正六位上,北陸道問民苦使(「もみくし」とも)となり,7年1月従五位下に昇り大宰府(太宰府市)の役人となる。以後,薩摩守,筑後守,美濃介,河内守など地方官を歴任,『続日本紀』によれば職務に忠実な能吏だったという。宝亀5(774)年7月鎮守副将軍となってから,東北地方の蝦夷征討を担当し,陸奥国按察使(行政監督官),鎮守将軍などを経て,11年2月参議に昇進。ところが翌2月,伊治城(宮城県築館町)に滞在中,部下の伊治郡大領伊治呰麻呂の反乱により殺された。蝦夷出身で広純の信任厚かった呰麻呂は,内心怨みを抱いていたという。

(寺崎保広)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の紀広純の言及

【伊治呰麻呂】より

…呰麻呂はもと陸奥国伊治村の蝦夷族長で,奈良末期の政府側の蝦夷経営にあたってはこれに協力し,外従五位下を授けられ,上治郡大領に任ぜられた。しかし同僚牡鹿郡大領道嶋大楯が,一門道嶋宿禰の権威を笠に,呰麻呂を蝦夷出身者と侮蔑するのを恨み,かつその大楯を信任する按察使(あぜち)紀広純にも含むところがあった。北の胆沢の賊が南下するのを防ぐために,広純が覚鱉(かくべつ)城を築くべく北辺に出張り,道嶋大楯以下をひきいて伊治城に入城したところ,この城において呰麻呂は広純・大楯らを殺して兵をあげ,南下して多賀城にも火をかけ攻めおとし,略奪をほしいままにして引き揚げた。…

※「紀広純」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
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