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両税法 りょうぜいほうLiang-shui-fa

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

両税法
りょうぜいほう
Liang-shui-fa

中国,中期に創設された税法。名称は夏と秋に2回徴税したことに由来する。8世紀になると,正税・調制は著しく破綻し,安史の乱によってそれが決定的となり,国家財政は危機に陥った。唐朝は対策として塩専売,茶税新設のほか,従来からの地税,戸税の増額,地頭銭,青苗銭 (せいびょうせん) の新設などを始めた。一方各地の藩鎮は領民からさまざまな名目で勝手に雑税を取立てていた。こうした背景のなかで,建中1 (780) 年宰相楊炎の意見により,租・庸・調制を廃棄し,税役を一本化したのが両税法である。租・庸・調制が個別人身支配,均等賦課,現物と労働力の収取,量入制出 (決った歳入により自動的に支出を決める) という特質をもつのに対し,戸単位支配,資産対応賦課,銭納原則,量出制入 (予算を決めて取立てる) を特質とした。両税法は農民層の階層分化の進展に対応して成立したもので,これ以後大土地所有制がますます発展した。折納といって,実際には国の要求する穀類,絹などを納めることもあったが,銭納原則は農民を貨幣経済に巻込み,没落農民を多数出した。租・庸・調的な徴税原理は秦,漢以来存在し,一方両税法は明の一条鞭法 (いちじょうべんぽう) 成立まで続いたから,唐中期の両税法の成立は人民支配理念の重要な変更を意味した。

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デジタル大辞泉の解説

りょうぜい‐ほう〔リヤウゼイハフ〕【両税法】

中国で、代から代にかけて行われた税法。均田法の崩壊に対し、780年、宰相楊炎建議により、従来の租庸調に代わるものとして制定・施行された。現住地に戸籍を定め、資産の多少に応じて等級を定め、夏と秋の2回に分けて徴収するものとした。

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百科事典マイペディアの解説

両税法【りょうぜいほう】

中国の税法。唐で始められ明まで続いた。租庸調制の破綻(はたん)に伴い,多くの雑税が設けられたが,780年,宰相楊炎の献策によって雑税を整理し,住民を現住地(本籍ある者を土戸,他より寄住する者を客戸)に登録し,財産の多少により9等級に分けて所要の税を割り当てた。
→関連項目均田法

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世界大百科事典 第2版の解説

りょうぜいほう【両税法 liǎng shuì fǎ】

中国で,租庸調に代わる正税(せいぜい)として780年(建中1)に制定された税法。唐初の正税は租庸調・戸税・地税など,いずれも固定的な定額税で,国家の歳入は課税の対象たる丁・田・戸の数によって自動的に決まり,したがって支出はこの収入に合わせて調節せねばならず,国家財政は量入制出(入るを量りて出づるを制す)の体制をとっていた。正税のほかに,戸内の資産・丁男の多寡に応じて臨時に財物を配徴する科配(科率(かりつ)ともいう)があり,臨時の出費の補塡に用いられていたが,中央財政に占める比重は大きくはなかった。

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大辞林 第三版の解説

りょうぜいほう【両税法】

中国、唐の徳宗の時に制定された税制。780年宰相楊炎の建議による。均田制の崩壊に伴い、租庸調に代えて、土地税と資産税を夏秋二期に徴収した。明の一条鞭法制定まで存続。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

両税法
りょうぜいほう

中国の唐代から明(みん)代にかけて行われた税法。8世紀の中ごろ、すでに戸税銭や麦税などを夏税、秋税として、夏秋両期に徴収し、両税と称していた。780年にこれを体系化し、中国税制史上の一大改革として登場したのが、楊炎(ようえん)(727―81)の建議による両税法である。8世紀には唐の律令制支配は動揺し、対人均等現物主義の租庸調制は崩れ、安史の乱でまったく破綻(はたん)した。財政の逼迫(ひっぱく)は、従来の戸税の銭額を引き上げ、耕地に青苗銭、地頭銭を課するなど雑多な新税を設けたが、狡猾(こうかつ)な地主や富商は脱税を謀り、官僚は私腹を肥やし、藩鎮は輸税を拒み、中小の農民は没落、流亡し、歳入の確保は期待しえなかった。
 両税法はこの現実に対応するもので、そのおもな内容は以下のとおりである。(1)各郷村はその現住戸を税役負担者とする。(2)各戸の資産を九等に分け、それに応じて現銭(銅銭)を徴収(従来の戸税に相当)。(3)所有耕地面積に応じてムギ、アワ、イネなどの生産物を徴収(田租に相当)。(4)夏秋両期に徴収。夏税(生産物としては夏ムギ、絹綿(まわた)など)は6月まで、秋税(同じくアワ、イネ、一部の絹綿など)は11月まで納入。(5)商人からはその居住地で売上高の30分の1を徴収。(6)資産の評価は3年ごとに行う。
 当時、華北では夏ムギの耕作が普及し、江南では稲作が進展し、養蚕も盛んになって、夏秋両期徴収はこれに適合し、かつ年2回徴収と単純化し、原則として歳出を計って予算をたてるなどの優れた点があり、明代に一条鞭法(いちじょうべんぽう)が成立するまで、中国税制の根幹をなした。しかし、両税のほか青苗銭は残存し、ときに布帛(ふはく)、アワ、ムギなどを安価に見積もって両税銭の代納を強制し、そのほか、塩、茶などの専売税を増大させて民衆を苦しめた。他方、資産や耕地の多少に応じて課税したことは、いわば土地私有を公認したことであり、両税銭、青苗銭の徴収、塩、茶などの専売策は、農村にまで貨幣経済を浸透させ、貧富の差はいよいよ拡大し、大土地所有制が展開し新興地主層が台頭してきた。こうして唐の貴族官僚社会は崩れ去るのである。[松井秀一]
『松井秀一著『両税法の成立とその展開』(『岩波講座 世界歴史6 古代6』所収・1971・岩波書店) ▽船越泰次「唐代両税法における斛斗の徴科と両税銭の折糴・折納問題――両税法の課税体系に関連して」(『東洋史研究』31巻4号所収・1973・東洋史研究会)』

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世界大百科事典内の両税法の言及

【唐】より

…第五琦と劉晏の2人によって完成された塩の専売法によって,国家財政は充実し,専売収入はやがて政府の全収入の半分を占めるにいたる(専売)。また780年には,楊炎の提案により,租庸調が廃止され,新たに両税法が始まった。両税法は,本籍地に居住するしないにかかわらず,現在耕作している農民の土地所有を認め,土地の面積や生産力に応じて,夏と秋の2回,銅銭で税を納めさせるという,画期的な新法であった。…

※「両税法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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