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秋篠寺 あきしのでら

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

秋篠寺
あきしのでら

奈良市所在の寺。もとは浄土宗で現在は単立宗教法人。光仁天皇勅願宝亀7 (776) 年に創立され,金堂講堂,東西両塔を備えていたが,現在は鎌倉時代再建本堂 (国宝) だけが残る。古い仏像が多いが『伝伎芸天立像』が最も著名 (→伎芸天 ) 。

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百科事典マイペディアの解説

秋篠寺【あきしのでら】

奈良市秋篠町にある単立の寺。光仁・桓武両帝の勅願により,法相宗の善珠僧正が開基。1135年の兵火で七堂伽藍を焼き,残った講堂を鎌倉時代に修理して本堂としている。
→関連項目鹿田荘

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世界大百科事典 第2版の解説

あきしのでら【秋篠寺】

奈良市にある寺。もと法相宗であったが,真言宗,浄土宗(西山派)を経て,現在は単立寺院。創建年次については776年(宝亀7)と780年の2説がある。もと内経寺といわれたが,秋篠の地にあり,秋篠寺と称せられるに至った。後世,秋篠寺の善珠といわれた興福寺の名僧善珠を開山とする。780年に寺封100戸,798年(延暦17)に大和国公田24町が施入され,812年(弘仁3)3月に引き続いて100戸が寄せられるなど,光仁・桓武・嵯峨3帝の帰依をうけた。

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大辞林 第三版の解説

あきしのでら【秋篠寺】

奈良市秋篠町にある寺。初め法相宗、のち真言宗・浄土宗西山派を経て、現在は単立宗教法人。780年、善珠(723~797)の開基と伝える。光仁・桓武両天皇の勅願寺として発展した。今は本堂を残すのみ。古仏像が多く、特に伎芸天像が有名。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

秋篠寺
あきしのでら

奈良市秋篠町、近畿日本鉄道大和西大寺駅の北西1.2キロメートルにある単立寺院。780年(宝亀11)光仁(こうにん)、桓武(かんむ)両天皇の勅願によって、善珠(ぜんじゅ)僧正が開基したと伝える。勅封100戸を受けたこの寺は、法相(ほっそう)、因明(いんみょう)の学に通じた善珠を中心として僧房1000を数える大寺に発展し、西大寺と併称される学門寺であった。寺の西側茂みに残る8個の礎石は五重塔の東塔遺跡であり、その往時の勢威がしのばれる。京都遷都後は衰微し、あまつさえ1135年(保延1)以来数度の兵火にかかって、わずかに講堂(現在の本堂)を残すのみとなった。創建当初は法相宗であったが、834年(承和1)真言宗醍醐寺(だいごじ)派に転じ、さらに近世には浄土宗西山派となり、現在は単立寺院となっている。
 本堂(国宝)は創建当初の優美な結構を誇っているが、鎌倉時代の修理によって、桁行(けたゆき)5間、梁間(はりま)4間、単層、四注造(しちゅうづくり)本瓦葺(ほんかわらぶ)きの金堂造となっている。入唐(にっとう)僧常暁(じょうぎょう)大徳が大元帥明王(だいげんすいみょうおう)を示現したという故事にちなむ霊井の香水閣があり、庶民の絶えざる信仰を得ている。本寺には、罹災(りさい)にもかかわらず優れた尊像が多く残され、わけても伎芸天立像は美しい姿で知られ、ほかにも梵天(ぼんてん)立像、帝釈天(たいしゃくてん)立像、十一面観音立像(いずれも国の重要文化財)などの優品がある。[里道徳雄]

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