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紀船守 きの ふなもり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

紀船守 きの-ふなもり

731-792 奈良時代の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)3年生まれ。紀勝長(かつなが)・田上(たうえ)の父。天平宝字(ほうじ)8年藤原仲麻呂の乱のとき,駅鈴(えきれい)・内印(ないいん)(「天皇御璽」印)をうばいにきた矢田部老(やたべの-おゆ)を射殺する。その功により従五位下に特進。近衛(このえの)少将,土佐守(とさのかみ)などをへて,天応元年参議となり,近衛大将,式部卿,大納言とすすむ。正三位。延暦(えんりゃく)11年4月2日死去。62歳。正二位,右大臣を追贈された。

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朝日日本歴史人物事典の解説

紀船守

没年:延暦11.4.2(792.4.27)
生年:天平3(731)
奈良時代の公卿。紀猿取の子,勝長の父。娘のひとりは桓武天皇の妃。藤原仲麻呂の乱(764)で孝謙上皇の詔使となり,仲麻呂方の中衛府の将監矢田部老を殺し,淳仁 天皇のところにあった印璽を奪った。その功により従七位下から従五位下に昇った。のち近衛少将,近衛員外中将と武官としての歩みをつづけ,天応1(781)年6月参議。桓武天皇の信任厚く,延暦3(784)年6月に藤原種継らと共に造長岡宮使となり,長岡京(向日市,長岡京市,京都府大山崎町)の造営に当たった。9年2月に正三位,翌年1月大納言。死去ののち正二位右大臣を贈られた。

(寺崎保広)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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