奈良時代中期以降現れた兵士の一種。騎馬を自弁し、弓馬の術に長じた者が選抜され、騎馬の世話をする馬丁が国から支給された。後世の武士の原型をなすものである。唐では府兵制の変質過程で募兵の一形式として軍鎮(ぐんちん)勤務のものとして「健児」が現れる。用語としてはこれを模倣したものであろう。わが国での用字例はすでに『日本書紀』にみえ、「チカラヒト」と訓じているが、まだ正規の軍制には組み込まれていない。健児制度そのものは8世紀の軍制である。律令(りつりょう)国家の軍制として全国規模で施行されたのは792年(延暦11)6月だが、それ以前に数回、健児に関する動きが指摘されている。初見は、近江(おうみ)国(滋賀県)志賀郡の大友吉備麻呂(きびまろ)で、725年(神亀2)から734年(天平6)まで健児であった。この間、735年には兵士300人を健児としたことや、翌年、健児、儲士(ちょし)、選士に対して田租(でんそ)、雑徭(ぞうよう)のなかばが免除となったという記事が残っており、この時期に、健児について国策が打ち出されていたのであろう。これはその後738年5月には東海、東山、山陰、山陽、西海諸道の健児を停止したとあり、約10年間の存在であった。聖武(しょうむ)天皇即位(724)に伴う新しい国家方針の産物であったのか、これまでにみられない用語がこの間に現れたもので、健児もその一つであったのかもしれない。藤原仲麻呂(なかまろ)(恵美押勝(えみのおしかつ))は、いわば聖武時代の終焉(しゅうえん)ともなった押勝(おしかつ)の乱(764)に至る政権末期過程に、権力を守衛する武力として健児制を考えたが、それは天平(てんぴょう)6年(734)制を継承したものであり、健児も関国と近江国から20~40歳の郡司子弟および百姓の弓馬に巧みな者たちが徴集された。延暦(えんりゃく)11年(792)制は、律令軍団兵士の弱体化に対処して、辺要地を除いて諸国兵士を廃止したあと、諸国の兵庫、鈴蔵、国府を守衛させるために設定したものであるが、その定数は国ごとに異なり、20人から200人程度で、国衙(こくが)に健児所を置いて所属させた。健児所は平安末まで存続した。健児という用語の採用は、農民兵士の義務制を否定し、郡司子弟からのみ募兵するという理念を表現するものであったと考えられる。
[野田嶺志]
日本古代の兵制の一つ。律令国家的兵役制の変質過程で,律令国家は地方豪族層,有力家父長層をあらたに軍事的基盤とした。健児制がそれであり,まず,三関国,辺要地に現れ,体制的には,762年(天平宝字6)の制や,792年(延暦11)の制を画期として確立した。792年では,軍団制の廃止にともない,従来の兵士に代わって,国別に員数を定めて計3155人の健児が選抜,配置された。総数は3000~4000。延暦以前の健児は,おもに郡司子弟の弓馬に練達した者から選抜し,田租と雑徭の半分が免除されるなどの特典が与えられた。このようなことから,健児軍を上代の騎兵隊と考える見方もでている。延暦期以降の健児は軍団制下の兵士に代わる武力として準備され,勇健さを条件として,国内の勲位人が起用された。しかし,徴発忌避の動きは強く,老疾勲位人によるまったく士気を欠いた武力的に期待しがたいものとなり,また国衙も徭丁欠少を招くという理由で健児制の充実への熱意を欠いていった。なお,《日本書紀》に見える健児(ちからびと)とは異なるものである。
執筆者:野田 嶺志
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792年(延暦11)軍団兵士制廃止にともない設置された地方兵制。それ以前にも720~730年代,760年代の対新羅(しらぎ)臨戦態勢期に特定諸国におかれた。軍団兵士制は,7世紀の東アジアの国際的緊張のなかで築かれた大規模軍制であったが,8世紀末の唐・新羅の国内混乱から国際緊張がゆるむとともに,対蝦夷(えみし)戦争と新都造営事業のために廃止され,従来,訓練上番中の軍団兵士が担当した国府・兵庫・鈴蔵の警備のため,郡司子弟を中心に健児が採用された。健児制は少数兵制で,軍事力として過大評価するのは誤りである。平安中期以降,国衙機構の「所」の一つ健児所となる。
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…12世紀半ば以後,武士の政治的勢力が増大し,鎌倉幕府の創設から江戸幕府の終末まで670余年の間,武家政治を展開させた。
[武士の発生]
武士は10~11世紀の農村を母体として生まれたが,その発生要因の一つとしては国家の兵制の変化のもとで8世紀末に生まれた健児(こんでい)制(健児)をあげねばならない。これは地方の郡司や富裕農民の子弟を武芸に専従させたものであるが,そこから地方有力者が武技を練り武士化する要件が生まれた。…
※「健児」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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