健児(読み)こんでい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

健児
こんでい

平安時代の兵制の一つ。奈良時代末期から,軍団が私物化され農民の疲弊を招いたので,延暦 11 (792) 年,軍団の制度が一部を除いて廃止されると,これに代って郡司や富裕者,有位者の子弟を採用して健とし,軍団の兵士と同様の任務につけ,国府におかれた健児所が彼らを統率した。その数は国の大きさによって違い,約 20~200人であった。彼らは 60日交代で勤務し,徭役は免除された。その費用には健児田からの収入があてられた。この制度も平安時代以降,自然消滅した。

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デジタル大辞泉の解説

けん‐じ【健児】

血気盛んな男子。勇ましい若者。「全国の健児が技を競う」
こんでい(健児)

こ‐でい【児】

こんでい(健児)」の音変化。
「やれ―、やれ―、と候へば」〈盛衰記・三三〉

こん‐でい【児】

奈良末期、軍団を廃止した代わりに諸国に配置され、国府関所などを警固した兵士。地方の郡司子弟などを採用した。平安中期以降には消滅。
武家時代、中間(ちゅうげん)足軽などの称。こんでいわらわ。

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百科事典マイペディアの解説

健児【こんでい】

古代の兵制の一種。庶民出身の軍団の兵士とは別に選抜された郡司らの子弟。唐制を参考にして733年精鋭300人を指名,738年廃止,762年再置。軍団の兵士は弓馬の心得あるものが少なく,792年辺境のほかは軍団を全廃し,質の向上を図るため,健児を正規の兵制とした。国別に定員を設け,全国で3155人とした(《延喜式》に3964人)。平安時代の半ばまでに自然消滅した。
→関連項目衛士桓武天皇

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世界大百科事典 第2版の解説

こんでい【健児】

日本古代の兵制の一つ。律令国家的兵役制の変質過程で,律令国家は地方豪族層,有力家父長層をあらたに軍事的基盤とした。健児制がそれであり,まず,三関国,辺要地に現れ,体制的には,762年(天平宝字6)の制や,792年(延暦11)の制を画期として確立した。792年では,軍団制の廃止にともない,従来の兵士に代わって,国別に員数を定めて計3155人の健児が選抜,配置された。総数は3000~4000。延暦以前の健児は,おもに郡司子弟の弓馬に練達した者から選抜し,田租と雑徭の半分が免除されるなどの特典が与えられた。

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大辞林 第三版の解説

けんじ【健児】

元気な若者。 「全国の-が集まる国体競技」
健児こんでい」に同じ。

こんでい【健児】

奈良・平安時代、軍団の兵士役が廃された代わりに設けられ、諸国の国府・兵庫などを警備した兵士。郡司の子弟、勲位者などから選ばれた。平安中期以降、軍事的な必要性も乏しくなり消滅した。こんに。
健児童こんでいわらわ」に同じ。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

健児
こんでい

奈良時代中期以降現れた兵士の一種。騎馬を自弁し、弓馬の術に長じた者が選抜され、騎馬の世話をする馬丁が国から支給された。後世の武士の原型をなすものである。唐では府兵制の変質過程で募兵の一形式として軍鎮(ぐんちん)勤務のものとして「健児」が現れる。用語としてはこれを模倣したものであろう。わが国での用字例はすでに『日本書紀』にみえ、「チカラヒト」と訓じているが、まだ正規の軍制には組み込まれていない。健児制度そのものは8世紀の軍制である。律令(りつりょう)国家の軍制として全国規模で施行されたのは792年(延暦11)6月だが、それ以前に数回、健児に関する動きが指摘されている。初見は、近江(おうみ)国(滋賀県)志賀郡の大友吉備麻呂(きびまろ)で、725年(神亀2)から734年(天平6)まで健児であった。この間、735年には兵士300人を健児としたことや、翌年、健児、儲士(ちょし)、選士に対して田租(でんそ)、雑徭(ぞうよう)のなかばが免除となったという記事が残っており、この時期に、健児について国策が打ち出されていたのであろう。これはその後738年5月には東海、東山、山陰、山陽、西海諸道の健児を停止したとあり、約10年間の存在であった。聖武(しょうむ)天皇即位(724)に伴う新しい国家方針の産物であったのか、これまでにみられない用語がこの間に現れたもので、健児もその一つであったのかもしれない。藤原仲麻呂(なかまろ)(恵美押勝(えみのおしかつ))は、いわば聖武時代の終焉(しゅうえん)ともなった押勝(おしかつ)の乱(764)に至る政権末期過程に、権力を守衛する武力として健児制を考えたが、それは天平(てんぴょう)6年(734)制を継承したものであり、健児も関国と近江国から20~40歳の郡司子弟および百姓の弓馬に巧みな者たちが徴集された。延暦(えんりゃく)11年(792)制は、律令軍団兵士の弱体化に対処して、辺要地を除いて諸国兵士を廃止したあと、諸国の兵庫、鈴蔵、国府を守衛させるために設定したものであるが、その定数は国ごとに異なり、20人から200人程度で、国衙(こくが)に健児所を置いて所属させた。健児所は平安末まで存続した。健児という用語の採用は、農民兵士の義務制を否定し、郡司子弟からのみ募兵するという理念を表現するものであったと考えられる。[野田嶺志]

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精選版 日本国語大辞典の解説

けん‐じ【健児】

〘名〙
① からだが丈夫でたくましい男子。壮健な男子。血気盛んな若者
※随筆・秉燭譚(1729)三「健児と云は、もとすごやかなる男をいふ」 〔新唐書‐玄宗紀〕
② 兵士。
※南郭先生文集‐初編(1727)五・牛門分得出塞韻安字「十万健児斉按剣、更無人道長安
※文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉五「諸国の健児の内にて筋目もあり人をも持つ者は守護地頭の職に任じ、以下の者は御家人と称して」

こ‐でい【健児】

〘名〙 (「こんでい(健児)」の変化した語) 官署で使われている下僕。下働きの者。召使い。〔名語記(1275)〕

こん‐でい【健児】

〘名〙
① 上代の兵制で、兵士の一種。一般の兵士の中から強健で武芸に秀でた三〇〇人を選んだもの。田租と雑徭(ぞうよう)が半分免除され、中男(ちゅうなん)(=一七~二〇歳男子)二人が馬子として付けられた。天平宝字六年(七六二)には郡司の子弟、および良民の二〇~四〇歳の中から選ぶこととした。こんに。
※正倉院文書‐天平六年(734)六月四日・出雲国計会帳「移民部省下符弐道 一調緋絲加進上状 一健児正身田租免并雑徭減半状」
② 平安時代、延暦一一年(七九二)に諸国軍団の兵士を廃止した代わりに設けた兵制。各国の国府、兵庫、鈴蔵などを警備した。諸国の郡司の子弟をこれにあて、のち、勲位を持つ者、さらには白丁(はくてい)をも採用した。その数は一国あたり二〇~二〇〇人程度であった。〔三代格‐一八・延暦一一年(792)六月一四日〕
③ =こんでいわらわ(健児童)〔改正増補和英語林集成(1886)〕

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世界大百科事典内の健児の言及

【武士】より

…12世紀半ば以後,武士の政治的勢力が増大し,鎌倉幕府の創設から江戸幕府の終末まで670余年の間,武家政治を展開させた。
[武士の発生]
 武士は10~11世紀の農村を母体として生まれたが,その発生要因の一つとしては国家の兵制の変化のもとで8世紀末に生まれた健児(こんでい)制(健児)をあげねばならない。これは地方の郡司や富裕農民の子弟を武芸に専従させたものであるが,そこから地方有力者が武技を練り武士化する要件が生まれた。…

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