紀飯麻呂(読み)きのいいまろ

朝日日本歴史人物事典 「紀飯麻呂」の解説

紀飯麻呂

没年天平宝字6.7.19(762.8.13)
生年:生年不詳
奈良時代公卿。紀大人の孫で古麻呂の子。神亀6(729)年3月外従五位下。天平12(740)年9月藤原広嗣の乱が九州で起こると,持節大将軍大野東人の下で征討副将軍を務めて活躍し,勲2等を授けられた。のち大蔵卿,右京大夫などを歴任し,天平宝字1(757)年8月には参議となった。令外官紫微中台の次官を兼ね,勢力を振るう長官藤原仲麻呂補佐。仲麻呂政権下では,河内守を兼ねて義(刑)部卿を務め,美作守を経て,6年1月に従三位に昇った。病気のため辞官を請うていたところ死去した。仲麻呂の有力な側近であったとみられている。

(寺崎保広)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紀飯麻呂」の解説

紀飯麻呂 きの-いいまろ

?-762 奈良時代の公卿(くぎょう)。
紀古麻呂(こまろ)の子。天平(てんぴょう)12年藤原広嗣(ひろつぐ)の乱で征討副将軍をつとめる。右大弁,大蔵卿などをへて,天平宝字元年参議となる。紫微(しび)中台の次官もかね,長官の藤原仲麻呂を補佐。ついで義部(刑部(ぎょうぶ))卿,美作守(みまさかのかみ)をつとめ,従三位にのぼった。天平宝字6年7月19日死去。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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