刑部(読み)ケイブ

デジタル大辞泉 「刑部」の意味・読み・例文・類語

けい‐ぶ【刑部】

刑部省ぎょうぶしょう唐名
中国六部りくぶの一。司法に関することをつかさどった。

ぎょう‐ぶ〔ギヤウ‐〕【刑部】

刑部省」の略。

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精選版 日本国語大辞典 「刑部」の意味・読み・例文・類語

ぎょう‐ぶギャウ‥【刑部】

  1. 〘 名詞 〙ぎょうぶしょう(刑部省)」の略。
    1. [初出の実例]「有過失者、刑部依律推断」(出典続日本紀‐大宝三年(703)一一月癸卯)

けい‐ぶ【刑部】

  1. 〘 名詞 〙ぎょうぶ(刑部)

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改訂新版 世界大百科事典 「刑部」の意味・わかりやすい解説

刑部 (おさかべ)

古代に大和朝廷のおいた名代(なしろ)の一つ。《古事記》《日本書紀》によると,允恭天皇のとき,皇后忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ),つまり雄略天皇の母のために設けられたという。皇后の名は,大和忍坂宮という宮号に由来するもので,刑部(忍坂部)は,この宮の経営のための費用を貢進する部民をさしている。この宮は近江の豪族息長(おきなが)氏が,連続して宮廷にいれた后妃のために経営したもので,刑部もひきつづいて設定されたものと思われ,その分布も,畿内の山城河内摂津もとより,東山・東海・山陰山陽の各道,さらに越前讃岐豊前肥後などにひろくみとめられる。この部は,忍坂宮で養育されたと思われる押坂彦人大兄皇子(おしさかのひこひとのおおえのみこ)-息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)(舒明天皇)-中大兄皇子(のちの天智天皇)と伝領され,大化改新にさいし,中大兄が,押坂彦人の御名入部を国家に返還したとあるのも,この刑部をさすものと思われる。
名代・子代
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「刑部」の意味・わかりやすい解説

刑部
けいぶ
Xing-bu; Hsing-pu

中国の主要行政官庁であった六部の一つ。秋官とも呼ばれる。司法刑獄などを管轄六朝時代に尚書都官曹として発達,隋で刑部と改称した。唐では長官尚書,次官侍郎,判官郎中,員外郎以下の組織が整い,刑部,都官 (官奴婢の管理) ,比部 (会計検査) ,司門 (門,関の出入管理) の4部局を管轄し,大理寺とともに裁判に責任を負った。元代に尚書省が廃されると中書省に属し,明代以降は天子に直属,大理寺,都察院とともに三法司をなし,以後光緒 32 (1906) 年新制により法部と改称されるまで存続

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「刑部」の解説

刑部(けいぶ)

隋唐以来の中央行政官庁である六部(りくぶ)の一つ。重罪の裁判を行い一般裁判所の事務を監督し,刑法の編纂を兼ねる刑政の中心をなした。唐代では尚書省に属し,元代では中書省に,明清では皇帝直属であったが実質上は内閣のもとに置かれた。1906年の制度改革で法部に改められた。

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普及版 字通 「刑部」の読み・字形・画数・意味

【刑部】けいぶ

司法部。

字通「刑」の項目を見る

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「刑部」の意味・わかりやすい解説

刑部
けいぶ

三省六部

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旺文社世界史事典 三訂版 「刑部」の解説

刑部
けいぶ

六部 (りくぶ)

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世界大百科事典(旧版)内の刑部の言及

【裁判】より

…一つは不応奏といい,罪状明白で酌量の余地なく,中央政府に送って天子に奏聞する必要なく,ただ路の提点刑獄に報告し,その同意を得れば州にて死刑を実施できるもの,他を応奏といい,罪状に疑義があり,情状に酌量の余地あって,中央政府に報告し,天子に奏聞して決裁を仰ぐべきものをいう。中央政府で裁判を扱うのは大理寺,審刑院,刑部で,これを三法司という。州の判決案はまず大理寺で審査し,次に審刑院で再検討を行うが,刑部は元来が行政機関であるから,特命がある場合でなければ容喙(ようかい)しない。…

【三司】より

…三公でないものが三公の礼遇をうけることを,位亜三司,班同三司,儀同三司などと称し,とくに重いものを開府儀同三司と称した。(2)唐代では司法に関する三つの衙門たる刑部,御史台,大理寺を三司と称した。刑部はいわば法務省で,大理寺は最高裁判所,御史台は最高検察庁である。…

【六部】より

…中国,唐代から清末まで中央行政を分掌した吏,戸,礼,兵,刑,工の6官庁の総称。吏部は文官の人事,戸部は財政,礼部は祭祀と教育,兵部は軍事と武官の人事,刑部は司法,工部は土木に関する政務をそれぞれ担当した。魏・晋以後,中央行政機関となってきた尚書省は,5曹ないし6曹の分曹をもち,それらの曹名にも変遷があったが,唐代にいたって吏,戸,礼,兵,刑,工の六部とした。…

【名代・子代】より

…《古事記》《日本書紀》では,〈子代〉を〈子〉がないため,その〈代りに〉置いたものとするが,〈代(しろ)〉とは名目あるものの実体・客体をさすことばで,〈子のために〉設定されたものとする方がよく,この点では宮の名を負う名代もおなじであろう。 記紀の伝承をみると,品遅部(ほむちべ)=垂仁天皇皇子誉津別(ほむつわけ)命,伊登志部(いとしべ)=垂仁天皇皇子伊登志別(いとしわけ)王,武部(たけるべ)=景行天皇皇子日本武(やまとたける)尊,葛城部(かつらぎべ)=仁徳天皇皇后磐之媛(いわのひめ)(葛城氏出身),軽部(かるべ)=允恭天皇太子木梨軽(きなしかる)皇子,刑部(おさかべ)=允恭天皇皇后忍坂大中姫(おさかおおなかつひめ),穴穂部(孔王部)(あなほべ)=允恭天皇皇子穴穂(あなほ)皇子などの例が記録される。これにつづく時代に,長谷部(はせべ)=雄略天皇(大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ),泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮),白髪部(しらがべ)=清寧天皇(白髪大倭根子(しらがのおおやまとねこ)),勾部(まがりべ)=安閑天皇(勾金橋(まがりのかなはし)宮),檜隈部(ひのくまべ)=宣化天皇(檜隈廬入野(ひのくまのいほりの)宮),金刺部(かなさしべ)=欽明天皇(磯城嶋金刺(しきしまのかなさし)宮),他田部(おさだべ)=敏達天皇(訳語田幸玉(おさだのさきたま)宮)などが記録される。…

※「刑部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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