紙敷村(読み)かみしきむら

日本歴史地名大系 「紙敷村」の解説

紙敷村
かみしきむら

[現在地名]松戸市紙敷・串崎南町くしざきみなみちよう

河原塚かわらづか村・田中たなか新田の南に位置し、東は大町おおまち新田(現市川市)北東に入り込んだ国分こくぶん谷の南東の台地上に展開する。同谷の支谷が村の中央へ南東方向に湾入し、集落の中心は支谷の南西台地上にある。紙鋪とも書く。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳には神敷村とあり、高二三〇石。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二四七石余、旗本落合・鵜殿両氏の相給。なお弘化三年(一八四六)の畑山反別名寄帳(渡辺家文書)の後書によれば、享禄年中(一五二八―三二)から天正一九年(一五九一)まで「忍林長者」の支配下にあったが、同二〇年徳川家康によって検地が行われたという。


紙敷村
かみしきむら

[現在地名]大多喜町紙敷

板屋いたや村の北東、西畑にしはた川の支流紙敷川上流域に位置する。もと板屋村枝郷で、寛延四年(一七五一)に独立村になるが(天保七年「御尋之ケ条御答書」板屋区有文書)、天保郷帳では枝郷とする。文禄三年(一五九四)三月七日の板屋郷之内紙敷村坪入改帳(永島家文書)では永高二貫七九三文。元禄郷帳では高二四石余。領主変遷笛倉ふえぐら村に同じ。明和六年(一七六九)の西畑二四ヵ村田畑名寄帳(野口家文書)では田六町八反余・畑七町二反余(うち茶畑一町二反余)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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