紫福村(読み)しぶきむら

日本歴史地名大系 「紫福村」の解説

紫福村
しぶきむら

[現在地名]福栄村大字紫福

福栄ふくえ村の北半部を占め、四方を山に囲まれる。北を奈古なご(現阿武町)、東を宇生賀うぶが(現阿武町)吉部きべ(現むつみ村)、南を福井上ふくいかみ福井下ふくいしも両村、西を大井おおい(現萩市)黒川くろがわ村に接する。集落は村内中央をほぼ北東から南西に貫流する大井川とその支流域に点在する。当島宰判所属。

中世には紫福郷とよばれる地であった。慶長一五年(一六一〇)検地帳では、紫福郷として総石高三千二八二石余、うち田は二三四町余で高二千八五四石余、畠は一〇九町余で高二九九石余、ほかに小物成として一四石余などがあった。宮本八郎右衛門文書(「閥閲録」所収)の寛永一二年(一六三五)正月一三日付の毛利秀就の文書によれば、紫福村一五〇石の知行を宮本就政に命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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