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毛利秀就 もうり ひでなり

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美術人名辞典の解説

毛利秀就

江戸前期の大名。長門萩藩毛利家初代当主。広島生。関ヶ原の戦では豊臣方に加担、徳川家康の要求により、10年間を江戸で過ごす。慶長16年入国以来萩城下の整備と藩政の確立に意を用いるかたわら、慶長19年及び元和元年の徳川方大坂城攻めの両役に際しては徳川方として参陣。寛永3年には秀忠・家光将軍父子の上洛に従った。慶安4年(1651)歿、57才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

毛利秀就 もうり-ひでなり

1595-1651 江戸時代前期の大名。
文禄(ぶんろく)4年10月18日生まれ。毛利輝元の長男。慶長5年(1600)父の隠居により家督をつぎ,長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩主毛利家初代。37万石。翌6年から人質として江戸に滞在,16年領国入りをゆるされた。大坂の陣には徳川方として参戦。慶安4年1月5日死去。57歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

毛利秀就

没年:慶安4.1.5(1651.2.24)
生年:文禄4.10.18(1595.11.19)
江戸前期の大名。萩(長州)藩初代藩主。毛利輝元の長男。幼名は松寿丸,藤七郎。慶長4(1599)年輝元の養子毛利秀元は別家を立て,秀就が惣領(輝元の後継)の地位を確定した。従四位下,侍従,長門守,のち右近衛権少将。5年関ケ原の戦による減封後,輝元は形式上隠居したため,周防,長門2カ国の名目上の藩主。翌6年証人(人質)として在江戸。16年初入国。このころから藩制上の実権が,輝元から秀就に徐々に移譲され,元和9(1623)年の内証家督で完了。輝元,秀元,吉川広正(岩国藩主),それに福原広俊,益田元祥ら重臣に支えられて,藩制の成立に努めた。

(田中誠二)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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防府市歴史用語集の解説

毛利秀就

 萩藩の初代藩主です。関が原の戦いの後に毛利輝元[もうりてるもと]が隠居[いんきょ]したため、若くして藩主になりました。火事で焼けた玉祖神社[たまのおやじんじゃ]を建て直しました。

出典|ほうふWeb歴史館
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