朝日日本歴史人物事典 「毛利秀就」の解説
毛利秀就
生年:文禄4.10.18(1595.11.19)
江戸前期の大名。萩(長州)藩初代藩主。毛利輝元の長男。幼名は松寿丸,藤七郎。慶長4(1599)年輝元の養子毛利秀元は別家を立て,秀就が惣領(輝元の後継)の地位を確定した。従四位下,侍従,長門守,のち右近衛権少将。5年関ケ原の戦による減封後,輝元は形式上隠居したため,周防,長門2カ国の名目上の藩主。翌6年証人(人質)として在江戸。16年初入国。このころから藩制上の実権が,輝元から秀就に徐々に移譲され,元和9(1623)年の内証家督で完了。輝元,秀元,吉川広正(岩国藩主),それに福原広俊,益田元祥ら重臣に支えられて,藩制の成立に努めた。
(田中誠二)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報