細川忠隆(読み)ほそかわ ただたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「細川忠隆」の解説

細川忠隆 ほそかわ-ただたか

1581-1646 織豊-江戸時代前期の武将
天正(てんしょう)9年生まれ。細川忠興(ただおき)の長男関ケ原戦いのとき,死をえらんだ母ガラシャをみすてて脱出した妻千世を弁護したため,おこった父に追放される。のち妻ともわかれ,出家して休無と号し,京都にすんだ。正保(しょうほ)3年8月1日死去。66歳。山城(京都府)出身。初名は忠陸。通称は与一郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android