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南明 なんみんNan-ming

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南明
なんみん
Nan-ming

中国,明朝の滅亡後,の王室の一族が南方各地に建てた王朝 (1645~62) の総称。崇禎 17 (44) 年の李自成の乱により明の崇禎帝が自殺,続いてドルゴンに率いられる満州軍が李自成を追って北京に入城し,朝の中国支配が始ると多くの明朝官僚は清朝に服従した。しかし,一部の明朝の遺臣は明王室の子孫を奉じて清朝に抵抗し,漢民族の復興運動に全力を投じた。第1は福王 (朱由 崧,弘光帝万暦帝の孫) が南京で史可法らに擁立された時期 (45) ,第2は唐王 (朱聿鍵,隆武帝,洪武帝9世の孫) が鄭芝龍らに擁立され福州で即位した時期 (45~46) ,第3は桂王 (永明王朱由榔,永暦帝,万暦帝の孫) が広東の肇慶で瞿式耜 (くしきし) らに擁立された時期 (46~62) である。以上が代表的なもので,前三藩の乱 (呉三桂らの三藩の乱に対比して) とも称されるが,そのほかにも魯王朱以海,益王朱由本を奉じて活動するものもあった。それらはいずれも敗北に終ったが,鄭成功や張煌言らは海上勢力を動員して海戦で清軍を苦しめ,しばしば本土深く進攻した。永暦 16 (62) 年桂王が昆明で殺され,成功も病死して以後は勢力が衰え,ただ台湾に拠った成功の子孫が康煕 22 (83) 年まで抗戦を続けた。

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世界大百科事典 第2版の解説

なんみん【南明 Nán Míng】

1644‐62
中国,明朝滅亡ののち,その遺王たちは江南各地で清朝に対抗したが,彼らが建てた政権を南明と総称する。三藩(福王朱由崧唐王朱聿鍵(いつけん),永明王朱由榔),四藩(三藩に魯王朱以海を加える)と呼ばれることもある。李自成が北京を陥れ,崇禎帝が自殺して明朝が滅ぶと,明朝復興運動が相次いで起こった。最初に設立されたのは南京の福王政権で,福王は万暦帝の孫にあたり,史可法,馬士英らに擁立されて弘光帝をとなえた。

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