細江庄(読み)ほそえのしよう

日本歴史地名大系 「細江庄」の解説

細江庄
ほそえのしよう

和名抄」にみえる坂田郡細江郷の名称を継承し、現長浜市街およびその南部・北部一帯に比定される。山城石清水いわしみず八幡宮領細江庄・青蓮院門跡領細江庄・太政官御厨家領細江庄が存在し、室町期以降には細江南郷(応永二三年一二月一五日「大井村福林寺売券」総持寺文書など)・細江郷(延徳三年三月一三日「西浜今智坊売券」同文書など)呼称もみられる。「坂田郡志」は、古代坂田郡条里の五条以南を南郷、四条以北を北郷とする。

〔石清水八幡宮領細江庄〕

坂田北郡南郷にあったとされる。保元三年(一一五八)一二月三日の官宣旨(石清水文書)に「細江庄 同御供田」とみえ、諸国の石清水八幡宮寺領に対する領家・預所・下司・公文などの違乱が停止されている。なお近江国坂田北郡南郷四八〇町は同宮の敷地であったが、寛治年中(一〇八七―九四)本領主経暹が南郷のうち一八〇町を寄進、放生会領米保に便補され、一円不輸領となり、住民は神人となった。しかし住民らはこれを嫌い、大番舎人の名義を買得、その本給一二町をてことして一庄一八〇町を掠領した。貞永元年(一二三二)九月、九条家と八幡宮寺は、一二町の三倍の三六町になっていた大番舎人給田を認める一方、特定地に固定することで和解した。しかし、その後国司と八幡宮寺との間に訴訟が続いた(天福元年五月日「石清水八幡宮司申文」宮事縁事抄)。正安元年(一二九九)頃には、八幡宮別当長清が当庄および同供田などの相承を望んでいる(年欠九月二二日「長清申状」下郷共済会所蔵文書)

正平六年(一三五一)一一月六日、当庄および同供田などが八幡宮権別当山井昇清に安堵されている(「後村上天皇綸旨」石清水文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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