経久寺(読み)きようきゆうじ

日本歴史地名大系 「経久寺」の解説

経久寺
きようきゆうじ

[現在地名]西伯町法勝寺

法勝寺ほつしようじ集落の北東方の山腹にある。臨済山と号し、臨済宗妙心寺派。寺伝によると天文一〇年(一五四一)に没した尼子経久菩提を弔うために永禄年中(一五五八―七〇)に建立されたといい、寺号もこれにちなむという(伯耆志)本尊はもと八臂観音であったが、現在は釈迦如来。古くは五山派の臨済禅寺であったらしく、妙心寺派寺院となったのは近世に入ってからのこととされる(鳥取県史)。永禄一二年一〇月一日の尼子勝久安堵状(寺蔵、以下寺蔵)に寺名がみえ、これより先、尼子与州(経久)から寺領の段銭・諸役が免除されていたという(年未詳六月一三日山田元勝書状)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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