綺田庄
かばたのしよう
現蒲生町綺田を遺称地として一帯に比定される。弘安年中(一二七八―八八)のものと推定される七月四日付成宣奉書(山部神社文書)に庄名がみえ、市子本庄・麻生庄と本所を一にすることから鎌倉時代には花山院家領であったと考えられる。そののち応永年中(一三九四―一四二八)頃には一部が京都相国寺鹿苑院領となり(「蔭涼軒日録」長享二年九月二七日条)、長享―延徳年中(一四八七―九二)当庄をめぐり花山院家と鹿苑院との間で相論となっている。長禄三年(一四五九)四月一四日、相国寺造営のため木引人夫の賦課が免除されている(「蔭涼軒日録」同日条)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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