綺田村(読み)かばたむら

日本歴史地名大系 「綺田村」の解説

綺田村
かばたむら

[現在地名]山城町大字綺田

北はしぶ川を境として石垣いしがき(現綴喜郡井手町)、南は不動ふどう川を境として小平尾おびらお(一部南岸は綺田村)、東は山地、西は木津きづ川。集落は東部山地から木津川に向かって西流する三河川のうち、北の渋川の南岸、中の天神てんじん川の両岸、南の不動川下流南岸周辺および東南の山裾に散在する。村内西方の木津川沿いを大和街道、中央を奈良街道が通る。

「日本書紀」垂仁天皇三四年三月二日条に「綺戸辺かにはたとべ」「苅幡戸辺かりはたとべ」、「古事記」垂仁天皇の段に「苅羽田刀弁かりばたとべ」などの人名がみえ、これらは当地の地名を負った人物とされる。地名の初見は「中右記」寛治六年(一〇九二)二月六日条で、「加波田河原」と記される。永久元年(一一一三)一二月日付の玄蕃寮牒案(柳原家記録)には「綺郷」とみえる。


綺田村
かばたむら

[現在地名]蒲生町綺田

平林ひらばやし村・石塔いしどう村の南、佐久良さくら川沿いに位置し、東は蓮華寺れんげじ村・野出ので(現日野町)。集落は佐久良川北岸に発達し、耕地は南岸一帯に広がり、丘陵深くまで開かれている。西隣のてら村と集落は地続きで、祭祀墓地などを共にする。中世には綺田庄として推移。寛永石高帳では高七〇〇石余。なお同石高帳では尾張名古屋藩領とみえるが、元和三年(一六一七)彦根藩領となり、文久二年(一八六二)上知となったと思われる。元禄八年大洞弁天寄進帳では人数三一二。草山は寺村地内の一七町余を同村と入会で利用(蒲生町役場文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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