茨城県南東部、行方郡(なめがたぐん)にあった旧町名(麻生町(まち))。現在は行方市の南部を占める地域。旧麻生町は、1889年(明治22)町制施行。町名の由来は『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』に大きなアサが生えていたとあることによる。1955年(昭和30)太田、大和(やまと)、小高(おだか)、行方の4村と合併。2005年(平成17)北浦(きたうら)、玉造(たまつくり)2町と合併して市制施行、行方市となった。霞ヶ浦(かすみがうら)と北浦の湖岸低地と、行方台地が広く、面積の28%は山林原野。霞ヶ浦の湖岸に国道355号が走り、北浦には北浦大橋(1995年開通)が架かり対岸の鹿嶋(かしま)市域と結ばれる。古くは『和名抄(わみょうしょう)』の麻生郷(ごう)にあたり、16世紀まで麻生氏、江戸時代は麻生藩新庄(しんじょう)氏の城下町。現在は霞ヶ浦漁業の中心地で、ワカサギ、エビ、ハゼなど霞ヶ浦佃煮(つくだに)は、1873年(明治6)江戸・佃島で習ってきた奥村謙蔵がおこしたといわれ、いまも佃煮工場がある。農業は米中心からトマト、ミツバ、イチゴなどの園芸農業や養豚などとの複合農業に変わってきた。霞ヶ浦湖畔の天王崎(てんのうざき)は景勝地で知られる。
[櫻井明俊]
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