綾郷(読み)あやごう

日本歴史地名大系 「綾郷」の解説

綾郷
あやごう

鹿児島藩外城の一つで、現綾町の東部を除く大部分を占める。高岡たかおか郷・穆佐むかさ郷・倉岡くらおか郷とともに関外四ヵ郷の一つ。高岡郷の北に位置し、近世後期の高位付では下位、鹿児島からの道程は万治年間(一六五八―六一)以降遠方に位置づけられている(「薩摩藩万留」鹿児島県立図書館蔵)鹿児島城下よりの距離は浜之市はまのいち筋で二五里半、うち海路七里、真幸まさき筋で二八里、うち海路五里(「薩藩政要録」など)

地頭は天正八年(一五八〇)頃補任された新納久時(のち忠明)最初らしく(諸郷地頭系図)、綾外城の設置もこの頃であろうか。同一五年島津氏は豊臣秀吉帰順。翌一六年八月五日島津義弘に与えられた日向国知行方目録には、綾は八〇町とある。天正年間に通用した日向国五郡分帳でも綾八〇町とみえる。同二〇年の細川幽斎関与の島津氏領の寺社領勘落策では、綾の寺社領の上地はなかった(同年四月「薩隅日寺社領注文」旧記雑録)。江戸時代には南俣みなみまた村・北俣村の二ヵ村からなり、幕末まで変わらない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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