日本歴史地名大系 「緩木社」の解説 緩木社ゆるぎしや 大分県:竹田市高源寺村緩木社[現在地名]竹田市九重野緩木山北西麓の高源寺(こうげんじ)集落にあり、緩木山上に上宮、山麓に下宮を祀る。古くは緩木権現祠とよんだ(豊後国志)。祭神は伊弉諾尊・伊弉冊尊・天忍穂耳尊ほか八神。社伝によると、養和元年(一一八一)豊前彦(ひこ)山(英彦山)の神を勧請したことに始まるという。当初は僧侶が司祭する神宮寺が設けられ、高源寺とよばれたが、中世末期に大友氏の寺社焼打ちにより退転(直入郡志)、寺の廃退後は寺名のみ残り村名となったという。境内に石塔碑が散在し、明徳元年(一三九〇)一一月の紀銘をもつものがある。社司は文明(一四六九―八七)期以降宮砥(みやど)八幡社の相馬氏が勤めた。緩木山は由留木とも書き、豊後・肥後・日向三国の国境をなす祖母(そぼ)山系北西山麓に孤立する小山塊で、中世期には天然の砦(山城)として利用された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by