縄手遺跡(読み)なわていせき

日本歴史地名大系 「縄手遺跡」の解説

縄手遺跡
なわていせき

[現在地名]東大阪市南四条町・六万寺町三丁目

生駒山西麓、鳴川なるかわ谷によって形成された谷口扇状地の末端に位置する。縄文―古墳時代の遺跡で、縄手小学校・同中学校を中心に、東西・南北ともに三〇〇メートルに及ぶと推定される。昭和二六年(一九五一)縄手中学校建設に伴って発見された。同四四―四九年には小学校・中学校の校舎建設に伴って発掘調査が実施され、縄文後期竪穴住居跡土壙墓・石組炉などが発見されており、出土遺物は縄文中―後期の深鉢・浅鉢・注口土器土偶石鏃石錘など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 瀬戸内

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む