繁田満義(読み)ハンダ ミツヨシ

20世紀日本人名事典 「繁田満義」の解説

繁田 満義
ハンダ ミツヨシ

明治・大正期の殖産家 埼玉県茶業取締所頭取;埼玉県議。



生年
弘化2年(1845年)

没年
大正9(1920)年2月25日

出生地
武蔵国入間郡黒須村(埼玉県入間郡)

別名
通称=武平

主な受賞名〔年〕
緑綬褒章〔明治39年〕

経歴
名主の家に生まれ、長じて12代武平を襲名し、文久2年(1862年)名主を継いだ。慶応3年(1867年)より山林3ヘクタールを開墾して茶園を経営。維新後、大惣代や区戸長などを務めながら茶業を続け、明治8年入間・狭山近郊の同業者とともに狭山会社を組織し、茶の粗製乱造防止・茶のアメリカ直輸出などを進めた。しかし、輸出で大きな損益を出したため、社の経営は振るわず。のち製茶の改良研究に従事し、17年埼玉県作業取締所の初代頭取に就任、県内の茶業を統括した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「繁田満義」の解説

繁田満義

没年:大正9.2.25(1920)
生年:弘化2(1845)
明治期の殖産家。武蔵国入間郡黒須村(埼玉県入間市)の名主の家に生まれ,12代武平を襲名,文久2(1862)年名主役を継ぐ。明治維新後は大惣代,戸長,副区長,県会議員歴任。若くして茶業振興を志し,慶応3(1867)年山林3haを開いて茶園経営に従事し,茶種の改良普及に尽力。明治8(1875)年有志を募り狭山会社を創設し,茶の粗製乱造の防止に意を注ぐとともに,海外への茶の直輸出を図ったが,輸出に失敗して経営不振におちいった。17年県内茶業界の行政的取り締まりのために設立された埼玉県茶業取締所の初代取締役に就任。<参考文献>埼玉県茶業協会編『狭山茶業史』

(葉山禎作)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「繁田満義」の解説

繁田満義 はんだ-みつよし

1845-1920 明治時代の殖産家。
弘化(こうか)2年生まれ。文久2年(1862)武蔵(むさし)入間郡(埼玉県)黒須村の名主をつぐ。慶応3年山林をひらいて茶園をつくり,明治8年狭山会社を設立し,茶の直輸出をおこなう。狭山茶の改良につくした。県会議員。大正9年2月25日死去。76歳。名は武平(ぶへい)。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ビャンビャン麺

小麦粉を練って作った生地を、幅3センチ程度に平たくのばし、切らずに長いままゆでた麺。形はきしめんに似る。中国陝西せんせい省の料理。多く、唐辛子などの香辛料が入ったたれと、熱した香味油をからめて食べる。...

ビャンビャン麺の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android