日本歴史地名大系 「美里間切」の解説
美里間切
んざとうまぎり
沖縄島中部東側、現沖縄市東半と石川市にまたがる。中頭方に属する。東は
康熙五年(一六六六)四月二三日、当時二〇余ヵ村で構成されていた越来間切から一五ヵ村を割いて美里間切として分離・独立した(「文姓江冽家家譜」三世嵩原親方孝治条・「球陽」尚質王一九年条)。その際絵図郷村帳にみえる
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
沖縄島中部東側、現沖縄市東半と石川市にまたがる。中頭方に属する。東は
康熙五年(一六六六)四月二三日、当時二〇余ヵ村で構成されていた越来間切から一五ヵ村を割いて美里間切として分離・独立した(「文姓江冽家家譜」三世嵩原親方孝治条・「球陽」尚質王一九年条)。その際絵図郷村帳にみえる
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