日本歴史地名大系 「美馬郡村高其他扣帳」の解説
美馬郡村高其他扣帳(美馬郡村高其他控帳)
みまぐんむらだかそのたひかえちよう
一冊
成立 文久元―二年か
写本 徳島県立図書館所蔵呉郷文庫
解説 呉郷文庫本によると転写のもととなった本は名東郡近藤辰郎(教育家・郷土史家)蔵とあるが、現在所在不明。文化一二年に上梓された「阿波志」以降、その調査項目に範をとり各郡町村の調査が継続したようで、美馬郡に関しては文政一一年に吉野川左岸諸村について調査された「文政十一年九月脇康左衛門控書」があり(「新編美馬郡郷土誌」所収)、次いで当帳がまとめられた。これは村高の変化でも確認される。控書では重清村村高は九八二石、郡里村は一千九八石だが、当帳では重清村は一千五八石余、郡里村は一千一〇四石四斗余と増加している。当帳の記載内容は各町村について町数(面積)・村高・成米・家数・人数(男女別も)、村高の内訳としての給人名とその持高・成米・家数・人数(男女別も)、神社・仏閣・御堂・制札場・番所・古城跡・名泉・特産物、吉野川の瀬・大岩石、御蔵林や御薮の個所、村の長さと幅が記載されている。「阿波志」に美馬郡二六ヵ村・一万三千六六石と記載されるのに対し、当帳では口山村が東口山村と西口山村に、一宇山が一宇山口分と一宇山奥分となっており、計二七ヵ村(祖谷山は記載がない)・一万二千一四二石余となっている。記載されている給人名とその家督相続年月日から判断して、文久元年か同二年に成立したと考えられる。転写本なので、給人の名前の誤記、異字もあり注意が必要である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報